【光野桃エッセイ】五月の朝のジャスミン。記憶は香りとともにいつまでもそこにある
2002年から4年ほど、夫の転勤に帯同して、中東のバーレーンに暮らした。人口150万人ほどのこの小さな島国は、イスラム教国だが、親米の国らしい自由さがあり、「むかしむかし、あるところに」と語り始めれば、たちまちお伽噺の小さな王国が立ち現れる、そんな雰囲気に満ちていた。
エメラルドグリーンの海、風に揺れるヤシの木の下を、黒い衣装に身を包んだ女たちが裳裾を揺らめかせながら通り過ぎる。黒いアバヤ(髪やうなじを覆うためのスカーフ)の下に隠された顔は、意外なほど今っぽい化粧をした黒い瞳の美人が多い。
バーレーンの王様は、王宮でときどき音楽会を催した。トルコの古楽器管弦楽団や、日本からも雅楽の演奏家などが招かれていた。会場のサロンは、カーテンもテーブルクロスも、地厚で華やかな織り布がふんだんに使われている。部屋の入口へ行くと、召使が銀のポットを手にして待ち構えていた。両手を揃えて差し出すと、なにかを注いでくれる。さらりとした肌触り、胸いっぱいに吸い込みたくなるやわらかで清らかな香り。薔薇水だった。
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鉢に精製水を入れ、花びらを浮かべて、即席の薔薇水をつくる。市販されているローズウォーターもあるが、やはり香りが物足りない気がする。お客様が手を消毒する前に、自家製の薔薇水で手水して和んでいただくのも素敵
なんて贅沢な‥。奥に通され、タマリンドの飲み物とデーツを振るまわれながら感嘆した。アラブの男性たちは香りに敏感で、丈の長い民族衣装トーブにもお香をしっかり焚きしめる。そんな麝香系の強い香りの中にあっては、天然の薔薇の香りなど、すぐ吹き飛んでしまいそうだ。それでも、その淡い香りのお浄めに、心が落ち着き、敬虔な気持ちになった。
この薔薇たちはどこから来たのだろう。どこかの国の花市場から大量購入した花を、水に浸して作るのだろうか。
砂漠の国の贅沢品は、花と水だ。夏は気温50度にもなろうかというほどの乾いた熱い土地に、繊細な草花は育たない。花屋はあっても、売っているのは輸入されたユリやグラジオラスなどの大味なものばかり。茎は捨ててしまい、花だけを詰めた人工的な籠花は、ほとんどがお使い物用で、自宅で楽しむものはなかった。
街に花屋は容易に見当たらず、がっかりしたが、草花がない代わりに、木の花は1年中こんもりと咲き繁っていた。その多くはブーゲンビリア。赤やピンクではなく、白やサーモンオレンジなどの淡い色が、光を集めたようなグラデーションを描いて、建物や外壁を埋めていた。
バーレーンでほとんどの日本人が住んでいるのは、門番のいる大きな鉄の門の中に、一戸建てが何戸かまとまって建つ「コンパウンド」と呼ばれる外国人居住区だった。広い居住区には、ジムもあり、ちょっとした散歩もできた。そこでの楽しみは、工夫を凝らして創りあげた各家庭の庭を見学すること。
遠くからでもすぐにわかるのは、英国人の住まい。白一色の花で統一された花壇が、玄関脇に広々と作られている。その美しさは、ここは英国か、と錯覚しそうになるほど。たとえ灼熱の土地であっても、故国の庭と同じものを作らなければ気がすまない。その気質は、世界中の美術品や文化財を集めないではいられなかった、かつての英国気質に通じるものがあるように思う。
土を入れ替え、細い水路を花壇全体にくまなく張り巡らせて、自動灌水も抜かりなく設置。そこに、背丈の高低や花の種類の微妙に変えたものをさりげなく植える。自然のまま育ったような趣きが大事なのだ。最初は難しそうだが、いつしか思い通りのイングリッシュガーデンができあがるのだろう。
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ジャスミンの花。これは自宅の小窓に這わせたもの。窓を覆うようになればいいなと思って誘引したが、日当たりの問題などがあり、なかなか咲いてくれなかった。今年は他の植物や果実同様、豊作の模様。朝から甘い香りが部屋中に