ウクライナ住民を強制移住させるロシアの「シベリア送り」 その体質は今も変わらない 写真家・野町和嘉〈dot.〉
「本当にこの写真のことはまったく忘れていた。ロッカーの一番奥に放り込んであった。ところが、ウクライナの状況を見て、これは、と思って30年ぶりに引っ張り出した。いまロシアが行っていることは旧ソ連時代と何一つ変わらないですよ」
野町和嘉さんはこう語った。
「この写真」とは、かつてラーゲリ(強制労働収容所)と呼ばれた収容所の内部を写したものだ。野町さんは旧ソ連崩壊直後の1992年3月にロシアの収容所を訪れた。
旧ソ連時代、一党独裁政府は国民を潜在的な敵とみなし、取り締まった。人々の間にスパイを送り込み、監視体制をつくり上げた。当局の人権意識は薄く、非常に恣意(しい)的に市民を逮捕した。いわゆる「シベリア送り」になった人々も大勢いた。
さらに、敵対する可能性のある住民を遠い地域に根こそぎ強制移住させた。反抗したらその場で銃殺したりした。その体質はいまも変わらない。
今年2月、ロシアはウクライナに侵攻すると、支配地域でウクライナ人の強制移住を進めてきた。それは遠くシベリアやサハリンなど極東地域にも及んでいる。ロシア政府は彼らを「難民」と呼ぶが、地域開発や労働力を補充する意図があると、国際社会は指摘する。
■目の前の「収容所群島」
野町さんが収容所の取材を思い立ったのは91年10月。雑誌「マルコポーロ」(文藝春秋)の取材で旧ソ連の中央アジアを訪れたときだった。かつて世界第4位の面積を誇った湖、アラル海が綿花栽培のためにほぼ消滅し、「20世紀最大の環境破壊」と言われた。
「このことは長い間、まったくの秘密で、報道できなかった。ゴルバチョフ政権のペレストロイカ(改革)でようやく現地を訪れることができた。その途中で囚人労働を見たんです」
車で移動中、田舎町の道路際で清掃を行う囚人服の男たちを目にした。またあるときは、囚人たちが工場プラントの建設に携わっていた。同行したコーディネーターに聞くと、近くに大きな収容所があるという。
「旧ソ連では、それが通常の国家運営の一つだったんです。帝政ロシアの時代から自国民を投入して運河を掘ったり、鉄道を敷いたり、工場を建てたりした。そこには政治犯はもちろん、刑事犯もいた。旧日本兵などの戦争捕虜もいた。アレクサンドル・ソルジェニーツィンが書いた『収容所群島』にちかい実態が本当にすぐ目の前にあった」