【新刊紹介】記憶を蘇らせてくれるガラクタ:五木寛之著『捨てない生きかた』
断捨離ブームの向こうを張って、今秋に90歳となる大作家が、「捨てなくていい生き方」を勧めている。人生百年時代は、思い出、記憶が詰まっているガラクタに囲まれて生きるのもいいじゃないかと記す。
本書の書き出しが面白い。
「この本を書くには勇気がいった。なにしろ『断捨離』という発想はすでに、社会に大きなインパクトを与えていたからである――」
「ぼくは、ひねくれた人間です。流行に逆らうことにひそかな生き甲斐を感じてきたようなところがあります」
「不要不急な人間にも生きる意味があるとすれば、不要不急なモノたちにも断捨離されない理由があるはずです」
モノは記憶を呼び覚ます装置だと言う著者は、靴に特別な思いがある。敗戦で朝鮮半島の平壌を脱出し、38度線を徒歩で越えた。少年時代の記憶が、靴そのものに宿っているという。
著者の部屋の片隅には、1950年代の終わりに自分で初めて買った青いスエード(加工した皮革・合成皮革)の靴が鎮座している。派手すぎて、半世紀以上履いて出掛けることはなかった。パンタロン全盛時代には、かかとの高いロンドンブーツを買ったが、これも履く機会がないまま壁際にホコリをかぶっている。しかし、一目見るだけで、年月とともに当時の様子までが鮮やかに蘇る。
「身のまわりにあるモノをすべて捨てて、スッキリした空間の身をおいたとします。はたして、幸福でしょうか。モノをどんどん捨てていくということは、自分が生きてきた人生、そして、自分が過ごしてきた時代という〈歴史〉を捨てていくのと同じことのように思います」
「(著者自身が)いずれメディアの表舞台からリタイアしたときは、古いモノたちや資料に埋もれて残りの日々を大事に過ごしたいと思うのです」
著者の言う「捨てない」は、もちろんモノを溜め込むだけではない。
「人との縁も捨てない。いったん始めた仕事も捨てない。書く力があるあいだは書き続ける。命ある限りは生き続ける」
人間は、あっという間に記憶を捨ててしまう。戦争の体験、記憶もあまり継承されずに、捨て去られようとしていることにも、引き揚げを経験した著者は警告している。また、「なまりは国の手形」と言われる方言がどんどん失われていることにも、そんなに簡単に捨て去ってしまっていいのか、と問題提起する。標準語が全国で浸透しているが、方言の中にこそ残る地方の文化や記憶を残したいからだ。
人生経験が豊富な著者ならではの名言が本書にはいくつも並ぶ。
「成長の時期には、邪魔なものは捨てればいい。成熟するためには、いろんなものを抱え込んでいたほうがいい」
「人は裸で生まれてきて、ゴミに囲まれて死んでいく」
この本を読んだ読者は、著者が断捨離論を語っているのではなく、生き方論を述べていたことに気付くのである。
斉藤 勝久
ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社の社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。医療部にも在籍。2016年夏からフリーに。ニッポンドットコムで18年5月から「スパイ・ゾルゲ」の連載6回。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を長期連載。主に近現代史の取材・執筆を続けている。