ひどい不眠症のわたしが、読み終えたあと「泥のように眠れた」独特のペースを持った小説とは?
「文一」(=講談社文芸第一)より初出・刊行した書籍のなかから、思い入れのある一冊にまつわるさまざまを書き手がつづる「文一の本棚」。第65回群像新人文学賞を受賞し、『点滅するものの革命』でデビューした作家・平沢逸さんが取り上げたのは、保坂和志さんの『プレーンソング』です。『群像』2023年6月号より再編集してお届けします。
----------
いまでこそ新人作家なんて扱いを受けているが、毎日本を読むという習慣が身についたのは大学を卒業してからだ。ひとりで静かに読書をするには学生時代にいた環境はあまりにも騒がしすぎた。
当時のわたしはお笑いサークルというものに属していたので、ネタを書く、それを舞台で披露する、ウケる、スベる、もしくは24時間ぶっつづけで麻雀をする、朝まで飲む、失恋したショックで泡をふいて失神する、夕方まで眠る、誰も来ない部室でギターの練習をする、初対面のaiko好きの女の子に「aiko好きの女の子は、全員性格がいい」などと言って苦笑いされる。
そうした大学生にありがちな気怠い日々を送るのに忙しくてとても読書どころの話じゃなかったのだ。もちろん全然読まなかったというのでもなかった。といっても月に1冊読むか読まないか程度だ。
そんなふうにぐだぐだしてるうちに大学生活もあっというまに過ぎていったのだが、卒業直前にどういうわけか小説を書こうと思いたった。就職もしなければ芸人やミュージシャンになるわけでもない。しかしただ漫然とフリーター生活を続けるだけでは残りの人生はあまりに長すぎる。
本気で小説を書くためにはあらゆる本を読まなければならない。小説や哲学や芸術評論、もともと好奇心だけは強い人間なので指先のむくままに本を読んだ。その初めの乱読期に手にとったひとつが保坂和志の『プレーンソング』だった。たしか2018年の初夏のことだ。
舞台は西武池袋線の中村橋、時代はどうやら80年代後半。わたしと同じような若者たちが共同生活を送りながらおしゃべりをし、猫と遊び、真夏になると車を走らせて湘南の海に行く。
べつに読みながら衝撃を受けたわけではない。涙を流したわけでもなければ「救われた」なんて大袈裟に思ったわけでもない。
ただ、すんなりと身体に馴染んだ。物語という物語はないが、その一方でありあまるほどの時間がある。川のようにサラサラ流れる時間ではない。コップに水を注いで、表面張力によって溢れだす寸前のところで留まっているようなその時間の在り方にどことなく共鳴を覚えたのだ。