超絶技巧ぬくもりと共に 山下清生誕100年、神戸で特別展 初公開の鉛筆画など170点
「裸の大将」としてテレビドラマや映画で紹介された山下清。ランニングに短パン姿のイメージが広まったが、実際は外出時にベレー帽やジャケットを身に着け、おしゃれだったとか。本展は独自の表現を生んだ画家の実像を伝える。
山下清は1922年、東京・浅草生まれ。翌年に関東大震災で自宅が焼け、3歳のころに重い消化不良と高熱で3カ月寝込んだ後、吃音(きつおん)が目立ち始めたという。9歳で父が他界し、小学校でいじめに遭った。
12歳で千葉県の養護施設「八幡学園」に入所し、貼り絵を作るようになる。しかし「1年間作ったものはずっと虫の絵。小学校時代の唯一の友だちは虫だったから」。そう解説してくれたのは、清と約11年間一緒に暮らしたおいで、山下清作品管理事務所代表の山下浩さん(61)だ。
やがて、一緒に暮らす友人らの姿も描くように。38年の貼り絵「ともだち」は、清の作品には珍しく、女の子のような人物が現れる。男の子が寄り添って励ますようで、ちぎった古切手を貼った独特の風合いだ。浩さんは「芸術に触れ、心があたたかく、豊かになったのだろう」と語る。
画才が注目され、17歳のときに東京・銀座で開かれた個展には、数日間で約2万人が入場した。画廊の床が踏み破られるほどの盛況ぶりだったと伝わる。
清は18歳から30代まで十数年間、断続的に日本各地を放浪した。画材道具を持たず、卓越した観察眼と記憶力で、お気に入りの景色を隅々まで覚えて、帰ってきてからじっくり創作する流儀だった。
清の放浪について、浩さんは「美しい風景を『ぼんやり』と見る自分だけの時間を創るためだったのである」と指摘。「全てを『無』にして自然と合体し、自分の五感を自然に感応させる心地よさを彼は知っていたのではないか」と本展図録で記している。
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戦時中の少年・青年期、39歳で巡ったヨーロッパ旅などを伝える5章構成で、貼り絵や油絵、陶芸作品を飾る。放浪に使ったリュックサックや浴衣、神戸・南京町や西宮・夙川を訪れて描いたペン画も登場する。
小学生時代の鉛筆画5点は本展で初公開。父らしき人物と風呂に入る様子など、幼少期の思い出が描かれており、緻密な描写は将来花開く才能を思わせる。
鹿児島の風景を描いた貼り絵「桜島」(54年)は、異なる視点を一枚に収めた表現に注目だ。桜島を横から、鉄道の線路を上から描いている。油絵「群鶏」(60年)は色鮮やかに修復後、本展で初披露となる。
貼り絵の代表作「長岡の花火」(50年)は、花火の見物客一人一人まで描き、水面に映る光のきらめきまで表現。浩さんは「一瞬の輝きを、1カ月かかって、眺めてから1年後に描いている」と紹介する。
花火を愛した清は、こんな言葉も残した。
「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて 起きなかったんだな」
清は71年、脳出血で亡くなった。倒れる直前、家族との夕食後、つぶやいた。「今年の花火見物はどこに行こうかな」。まだ49歳。最期の言葉となった。
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8月28日まで。7月18日以外の月曜と7月19日は休館。一般1000円ほか。神戸ファッション美術館TEL078・858・0050