〈皆川博子著『天涯図書館』試し読み〉A・アインシュタイン、S・フロイト『ひとはなぜ戦争をするのか』を読む
一九三二年、国際連盟の国際知的協力機関が、アルバート・アインシュタインにひとつの提案をしました。
望ましい相手を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換してほしい。
アインシュタインは、相手にジークムント・フロイトを選び、書簡を送ります。
もっとも重要なテーマとしてアインシュタインが取り上げたのは、「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか」でした。
一八五六年生まれのフロイト(オーストリア)と一八七九年生まれのアインシュタイン(ドイツ)は、苛酷な欧州大戦(第一次世界大戦、一九一四年~一九一八年)を体験しています。
WW1は、毒ガスの使用、戦車の開発、塹壕戦などにより、戦争の様相を大きく変えました。
〈技術が大きく進歩し、戦争は私たち文明人の運命を決する問題となりました。〉
アインシュタインがフロイト宛の書簡にそう記したときから九十年経っています。技術は核弾頭ミサイルの開発にまで進んでしまった。
この稿を記している今日もウクライナ東部の惨状が日々報道されています。
アインシュタインは二十三歳年上の心理学者にして精神科医のフロイトに、真摯に問いかけます。
自分は物理学者なので、〈人間の感情や人間の想いの深みを覗くこと〉は難しい。〈人間の衝動に関する深い知識で、問題に新たな光をあてていただきたいと考えております。〉
アインシュタイン自身は、戦争を回避するひとつの案を考えつきます。〈すべての国家が一致協力して、一つの機関を創りあげ(略)国家間の問題についての立法と司法の権限を与え、国際的な紛争が生じたときには、この機関に解決を委ねる〉。
けれども、すぐにそれが至難であることを記しています。〈国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。〉それを諾う国は、おそらく、ない。
国際平和を願い、その実現のために多くの人々が真剣に努力してきたのに、なぜ完全な平和は達成できないのか。
アインシュタインは自問自答します。
〈人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。〉
悪しき力の最たるひとつとして、権力欲をアインシュタインは挙げます。国家の指導者はその権力を少しでも減ずることに強く反対する。また、金銭的な利益を得るために権力者を支持する者たちがいる。典型的な例として、戦争時の武器商人が指摘されます。〈彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ません。〉
しかし、なぜ、権力者とその少数の支持者が、大多数の国民を意図通りに動かすことができるのか。〈戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか? 〉
この設問にも、アインシュタインは自答します。〈人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が! 〉
〈あなたの最新の知見に照らして、世界の平和という問題に〉取り組んでいただきたい。その言葉がきっかけになり〈新しい実り豊かな行動が起こるに違いない〉というアインシュタインの書簡の日付は、一九三二年七月三十日です。同年同月、ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ)が国会で第一党となります。