この訳がすごい!町田康の魂に響く言葉と「笑い」で生まれ変わった「古事記」の生命力
町田康の話題作『口訳 古事記』は、アナーキーな神々が関西弁で繰り広げる〈世界の始まり〉の物語だ。斬新にして抱腹絶倒の「町田語訳」で現代に生まれ変わった「古事記」の魅力に、詩人で翻訳家の森山恵氏が迫る。神話に込められた感情をどう伝えるか? 「笑い」をどう使うか? 神話を現代につなぐ工夫とは? 創作の秘密を明かすインタビュー後編。(「群像」2023年7月号より、WEB用に再編集してお届けします)
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町田 古事記の世界は整序されてない混沌から始まって、神々が国をつくろうとするんだけど、みんな勝手で、なかなかまとまらないんですね。日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)とか、言うこともやることもむちゃくちゃじゃないですか。
森山 日本武尊はとんでもない暴力で各地を制圧していきますが、最後は急に老化して、歌を歌って死んでしまう。ここは何か悲哀感が漂います。そしてここの歌の町田さん訳がすごい。
懐かしい
家の方から
雲きょんが
これは、もとの和歌の読み下し文はこうですよね。
はしけやし
我家の方よ
雲居立ち来も
町田 これも力わざの翻訳ですね。歌の場合はリズムがあるから、前後の言葉にはまって響いてないと、そこだけいくら正確でも、歌にならない。だから、申し訳ないけど多少意味が違っても、歌として響くようにしています。「雲きょんが」というのは、「雲が来よるがな」→「来よんが」→「きょんが」、という流れなんです。
森山 「きょん」は「来よる」だったんですね!
町田 「雲が来よるがな」というのは、その雲に対して無力な自分というのがあるわけです。俺は何もできへんけど、雲が来てるなという感じ。「来よるがな」の「がな」という大阪弁の言葉にその役割を働かす。そういうことをいかに短時間でやるかですね。
森山 字句通りの正確さよりも、感情が伝わるように、この人はこういう思いを歌ったんだということを甦らせるんですね。歌の訳からは町田さんのリズムが伝わってきて、物語とは別のところで乗っていけるというか、言葉そのもので古事記の世界に入っていく喜びがありました。
町田 日本語で生きてる人なら自然に出てくるリズムってあると思うんですよ。古事記は現代語訳もいろいろありますけど、あまり忠実にやると楽しくならないし、歌なんかは特に、もう少し歌える言葉にしたほうが、歌の魂というか、歌のノリというのが伝わるんじゃないかと。
森山 「源氏物語」でもさまざまな登場人物が和歌のやりとりをしますが、物語に歌が差し挟まれることで、日本語の源にある「歌」のリズム感や生命力が溢れてくる。町田さんの口訳にも同じような歌的なものがあって言葉が自由に生きて動いている、と感じました。