「人生は西遊記」苦労と涙を乗り越えて 神戸の夜間中学生が体験発表へ
■貧しい暮らし
貧しい村にもごく少数、大学に通っている人がいた。夏休みに帰村した彼らの顔は「幸せで自信のある顔をしていて、あの人たちのようになりたい」と、幼い周さんは思う。だが、貧しいうえに、ギャンブルにはまった父親はお金を使い果たしたときだけ家に戻り、暴力をふるった。6歳のときには何時間も殴ら000800れ続け、体中にけがをした。
貧乏から抜け出す希望だった小さな弟が川でおぼれて亡くなると、母親は神経質になり、周さんと姉が一家の大黒柱となって働かなければならなくなった。大学どころか、小学校も卒業できなかった。「勉強したいなあ、お母さんを助けてあげたいなあ、と思っていました」と涙ぐむ。
その後も試練や苦労は続いた。都会に出て美容師の仕事をしたが、小学校を卒業していないことがずっと心の底に引っかかっていた。友達との食事会でも「秘密」がばれないようになるべく話さなかった。いつも小さくなって、びくびくしていた。
■来日、言葉の壁
22歳のとき、夫となる日本人男性と広州で知り合う。24歳も年上だったが、「やさしい表情」をした男性は周さんの硬い心を解きほぐし、一緒にいると安心する存在となり結婚。6年前、家族で日本に来た。
だが、「知らない土地で言葉ができず、友達も親戚もいない。寂しくて大変だった。たくさん困りました」と涙声で振り返る。ある日、娘と一緒に行ったスーパーで店員の言葉に反応できず、「絶対に日本語を勉強しよう」と決心した。
■知識が自信に
日本語教室に通い、そこで知り合った友人から西野分校を紹介され、令和2年4月に入学した。不安と緊張の周さんに、「夜間中学の先生は何回も何回もやさしく教えてくれて、ちょっとずつちょっとずつ、わかるようになりました」。日本語の進歩は目覚ましく、他の教科も少しずつ理解できるように。頭が痛くなった数学も「今は大丈夫です」とほほ笑む。
そして、知識が増えただけでなく、自信が持てるようになった。
夜間中学に入学するまで、出かけようと誘われても「嫌だ、怖い。私は家にいる」と拒んでいた。それが勉強を続けて、「行きたいところに行けるようになりました」と胸を張る。今春、駅員にたずねながら一人で電車に乗り、大学生の娘の家をたずねた。今度は、就職した息子が暮らす東京にも一人で行きたいという。「勉強して世界が広がりました。いろいろ体験したい」と声を弾ませる。
「人生は西遊記の物語のようだと思っている」と周さんはいう。試練や苦労を経験して得られるものがあるからだ。
いろんな国の人と友達になり、一緒に勉強した楽しい学校生活もあと数カ月。来春卒業し、高校進学を目指す。周さんにはその先の夢もある。「美容師の学校に行きたい。この仕事が好きです」と花が開いたように笑う。
大会で伝えたいことがある。「夢が実現し、勉強は楽しく人生でとても大切だということを実感しています」