山口藩庁の土塁跡を初確認 大砲設置、西洋式技術導入 県が調査
藩庁跡は、現在の山口市の県庁敷地内にある。藩主・毛利敬親が萩から山口に藩庁を移す際、「山口城(山口御屋形)」として1864(元治元)年に建設。1870(明治3)年に山口藩庁、翌71年の廃藩置県後に山口県庁と改称され、1916(大正5)年の県庁舎(現在の国の重要文化財「旧山口県庁舎及び県会議事堂」)完成まで機能した。
発掘調査は旧知事公舎跡地の石積み擁壁工事に伴い、今年の7月18日から実施された。調査面積は約36平方メートル。藩庁の北東側で、長さ16・9メートル、幅4・5メートル、高さ0・5~0・8メートルの埋没土塁が見つかった。元々の土塁(東面)は長さ約110メートル、石垣上の下端幅約7メートル、上端幅約3メートルあったと推定される。
調査で、土塁は30~40センチ四方、厚さ約30センチの土のうサイズの土を何層にも積み上げてたたき締め、石垣(高さ約2メートル)を土留めにしていたことが分かった。遺跡からは土塁の土に混ぜ込んだとみられる瓦片のほか、碁石1個も見つかった。
調査を担当した県の文化財専門員、伊藤創(はじめ)さん(45)は「建設当時の工事をしていた人の姿が目に浮かぶ。土塁を見ることで、当時の工事がどんなものだったか知ってほしい」と話した。県は5日午前10時から現地説明会を開催する。申し込み不要。問い合わせは県文化振興課(083・933・4560)。【山本泰久】