築200年の医院解体で見つかった隠し階段付き屋根裏部屋、中から山水画…「お宝」展示
荒木さんは、鞍手町で開業医だった村士さん(享年61歳)の長男として誕生。高校入学直後に父が他界したため自身は医者の道を諦めたが、荒木家は天保8年(1837年)から医者だったとの記録があり、自宅の蔵には多くの骨董品が残る。
父の結婚相手も医者の家系で、同町にあった妻方の「宮川医院」を継いだ。荒木さんも20歳頃まで住んだ自宅兼医院は、建坪が約250坪(約825平方メートル)の広さだった。1970年代に九州自動車道の建設に伴い解体したが、その際、隠し階段が付いた屋根裏部屋が見つかった。
築約200年の自宅兼医院は改築と増築を繰り返しており、解体工事に立ち会った荒木さんは「こんなところに部屋があるとは知らなかった」と驚がく。6畳ほどの屋根裏部屋には、たんすが1棹置かれ、中から山水画6枚とたばこ盆が出てきた。宮川家が保管していたとみられる。
祖母の実家は博多で米問屋(後に材木問屋)を営み、父が借金を肩代わりした際、骨董品などを多数預かったという。この中の絵巻物には安政6年(1859年)の日付が確認でき、妖怪の絵と僧が説法する様子と思われる記述が約19メートルにわたってつづられている。長さが珍しいこともあり、民放の鑑定バラエティー番組に調査を依頼中だという。
このほか、父が医者を目指して上京中、東郷平八郎と偶然出会って受け取ったという書「忠孝」もある。裏面には公文書のような紙が貼られており、荒木さんは「時代を証明する古紙であり、信頼性は高い。父からも東郷平八郎に会ったエピソードをよく聞いていた」と振り返る。