葬送 評論家・小浜逸郎さん タブーに挑み続けた知性
差別、人権問題…マスコミがきれいごとしか書かないタブーにも臆することなく批評の目を向けてきた硬骨漢の評論家は、このときすでに病に体を冒され「足が動かない」と漏らしていた。それでも自宅の病床にパソコンを持ち込み原稿を書いた。しかし病はその後、さらに進んでいった。
6日の葬儀・告別式は無宗教形式のシンプルなものだった。生前は「あまり群れるのを好まなかった」と遺族がいうように、大学や研究機関に縛られず保守論壇でも一匹狼(おおかみ)の存在だったが、交流があった知識人や編集者らが駆け付けた。
若い頃、経済的には豊かでなく、14歳の頃に父親を亡くしたため、母親が経営する塾を手伝っていた。大学卒業後は塾をしながら同人雑誌に参加していたが、その太宰治論などが高名な評論家の吉本隆明に認められ頭角を現した。戦後社会の平等論のきれいごとや、反権力気取りの「進歩的文化人」の言論を鋭く批判する著作を次々と発表。平成11年の著書「『弱者』とはだれか」は、現代社会では「弱者」配慮が強調されるあまり、人々が「弱者」の立場に立って特権意識を持つようになっていると論じて、注目を集めている。
葬儀前日の通夜に駆け付けた社会学者の橋爪大三郎氏は「独自の考えがある人だったが、塾経営の経験もあり、常に地に足をつけて物事を下から見ていた。いわゆる『文化人』が上から見るのとは違った」と話した。3月31日、膀胱(ぼうこう)がんのため死去、享年75。(菅原慎太郎)