美村里江のミゴコロ ムカデさま、奈落へ
役者はいろいろな所へお邪魔するので、ありとあらゆるお手洗い状況を体験する。工事現場よろしく簡易トイレに頼るしかない場所も当然あり、用が足せれば何も文句は言わない体質となっている。
とはいえ、きれいなお手洗いは安心できてありがたい。その公園のお手洗いは天井の高いログハウス風で、隅々まで清掃が行き届き鏡前の空き瓶に活(い)けられた野草も美しく、大変好環境であった。
しかし自然の中であり、当然先住者がいる。用を足した後、洗面台にひょろりと見慣れたフォルムを確認した。虫好きの私でもうっかり手が出せない、毒をお持ちのムカデさまである。20センチくらいでなかなか大きい。
優秀な清掃員に磨き上げられた洗面台はツルツルで、早春の寒さもあり自慢の足でも傾斜を上がれない様子だった。よしよし、ちょっとお待ちくださいよ。
隣の台で手を洗い、水分を拭ったハンカチを広げて対角線上を持ってよじり、40センチほどの簡易縄にした。これにつかまってもらい、嚙(か)まれるリスクなく脱出を助けようという考えであった。
ふりふりと頭の前でハンカチ縄を揺らすと、ムカデはすぐに意図に気づいてくれた。ゆっくりと足を動かしハンカチにつかまったので、「もう大丈夫だ」と安心した。
が、ここで長いハンカチの影を察知した水道の自動センサーが作動。ジャーっと勢いよく水が流れ、螺旋(らせん)状の水流とともにムカデは排水溝へするりと吸い込まれていった。
「 あー!」
と叫んだのは、ムカデだったか、私だったか…。
異種生物ながら、意思疎通ができたと感じた瞬間だったので、ショックでしばらく固まった。垂直の管も上れるのは知っているが、助けようとして流してしまったので何とも申し訳なく…。
移動用のバスへ戻り数人のスタッフに話したところ、一人だけムカデに同情してくれた女性スタッフがいた。聞けば、彼女は室内の事故で瀕死(ひんし)に陥った野生のヤモリに指で優しく心臓マッサージし、見事蘇生(そせい)。数日元気な様子だったが、後日部屋の隅で死体発見という経験があるそうだ。
「何もしない方がよかったのだろうか」という葛藤に、共感し合った出来事だった。