太宰治の弟子、田中英光の書簡発見 「我慢できない」友人に本音も
太宰は48年6月、三鷹市内の玉川上水で入水自殺。代表作「オリンポスの果実」で知られる田中も翌49年11月、市内の禅林寺にある太宰の墓前で、36歳で自殺した。
今回発見されたハガキや書簡は、田中が45年11月から48年8月までの間に、早稲田大時代からの友人だった佐藤佐(たすく)氏やその家族に宛てたもの。
佐藤氏は太宰と同郷の青森県出身で、早くから太宰と交際。早大時代から田中と編んでいた同人誌「非望」を太宰の元に届けていた。同人誌に掲載された田中の小説を読んだ太宰が35年8月、作品を激賞するハガキを田中に送ったことから交流が始まった。2人にとって佐藤氏は「懸け橋」のような存在だったという。
46年4月の書簡では、書き損じた原稿の裏に「太宰さんと俺の間は先生と弟子ではない」「これから、世話になるのは止(や)めようと思う」「実はあのひとの天才主義にもう我慢できない」と記述。翌47年にも「先生と弟子になってしまうのは真平(まっぴら)」と書いた。
また、47年12月には「稿料安く、貯金という訳には参らぬ」と作家生活の苦悩をしのばせる一方で、「(酒を)ノムのには急がし」とユーモアも漂わせている。
一方、太宰の死から約2カ月後の48年8月には、佐藤氏らとの酒宴を願うとともに佐藤氏の長女の誕生を祝いつつ、「太宰さん死去。いまは云いたくなし」「ぼくもこの頃ヒドイもので、長生きできない気がする」としたためていた。
佐藤氏の長女が2023年6月、太宰と田中に関する企画展が太宰治展示室で開かれていることを知り、ハガキや書簡の存在を三鷹市に連絡。「父が語っていた田中の優しい人柄にあふれている。役に立つのではないか」と、貸金庫に保管していた計15点について三鷹市に寄贈することを決めた。企画展では、このうち田中が太宰に言及している7点を急きょ加えて特別展示する。
太宰治展示室学芸員の吉永麻美さん(45)は「太宰との間をつないでくれた佐藤氏に対する気遣いや優しさからは、田中の人柄が伝わってくる。同時に、筆一本で生きることがいかに苦しかったかという文学者としての苦労を知ってほしい」と話す。
企画展「『杏(あんず)の実』から『オリンポスの果実』へ」は8月20日までの午前10時~午後6時。入場無料。月曜休館。問い合わせは三鷹市美術ギャラリー(0422・79・0033)。【青木英一】