沖縄にいる年下の友人がリクエストした手土産。私たちを姉妹の絆で結んだのは、1冊の本だった
「文一」(=講談社文芸第一)より初出・刊行した書籍のなかから、思い入れのある一冊にまつわるさまざまを書き手がつづる「文一の本棚」。『リトルガールズ』で太宰治賞を受賞し、作家としても歌人としても活躍中の錦見映理子さんにご寄稿いただきました。錦見さんが選んだ1冊は、金井美恵子さんの『噂の娘』。『群像』2023年8月号より再編集してお届けします。
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飛行機を降りたとたん、もわっとした空気がまとわりついた。温度も湿度も高い。私はコートを脱ぎ、スーツケースを引きながら、那覇空港の到着ロビーに向かった。
沖縄に来たのは初めてだった。2002年の2月。手土産は何がいいか聞いたら、巴さんは「出たばかりの『噂の娘』を買ってきて」と言った。こっちの書店には入るかわからないし、入ったとしても遅くなるから、と。
巴さんとは、ネットで知り合った。初めてパソコンを買って、ダイヤル回線でネットにつなぎ、ウェブ日記を書き始めたのがきっかけだった。巴さんは私の日記を読んで突然メールをくれた、未知の人だった。沖縄に住んでいること、私より少し年下であることのみ告げる自己紹介のあとに、日記のどこになぜ共鳴したのか端的に伝わってくる文章が短く書かれていた。まもなく、彼女が東京に来る用事のついでに会うことになり、以来毎晩のようにメールを交わして、急速に親しくなった。
空港からバスに乗ると、塀やガードレールに旺盛に絡まる蔓植物が次々目に飛び込んできた。色とりどりのブーゲンビリアも咲きほこっている。冬枯れた真冬の東京とは、別世界だった。バスを降りて巴さんの部屋にたどり着くと、まず『噂の娘』を渡した。巴さんは嬉しそうにリボンをほどいて袋から取り出し、カバーに大きく描かれた女の子に頰ずりするように顔を寄せた。
通されたリビングで、周囲を飛び跳ねながら吠えるマルチーズのユンに負けないように、私は声を張り上げた。
「本包む前にあちこち開いて見ちゃった。ごめん、カバーかわいいし、見返しにも絵があるし、気になって」
「全然いいよ。中身は読んでみた? どんな話か知らないんだけど」と巴さんはキッチンに入っていく。「うん、実はかなり読んじゃった。主人公は小さな女の子で、母親の知り合いの美容院に弟と一緒に預けられるの、1950年代の話みたい」と私はざっくり説明した。
「父親がなぜか遠い街で入院して、看病に行った母親もいつ帰ってくるかわからないの、それでたぶん主人公は不安で熱出しちゃって、おばあちゃんの部屋に寝かされてうとうとしながら襖越しに茶の間で家の人たちが話しているのを聞くんだけど、その描写がとんでもなく細かくてびっくり」とやっと大人しくなったユンの小さな舌に掌を舐められながら喋っていると、巴さんが湯飲みを二つ載せたお盆を運んできた。
「それでどうしても続きを読みたくて、自分のも買ってきた」と私はスーツケースからもう一冊取り出した。「これ、著者のお姉さんが小学生の時に描いた絵なんだって」とカバーを指すと、「うん、金井さんの本はたいてい姉の久美子さんが装幀してる」と教えてくれた。「いいね、私たちもいつか一緒に何か作ろうよ」と漠然とした夢を語っていると、今日は疲れたでしょ、先にお風呂入ったら、とタオルを渡された。