斎藤美奈子が伝える、日本近代青春・恋愛小説の「大人だけの味わい方」
自分は将来、どうなるのだろう。漠然とそんなことを考えはじめるのは10代の後半くらいからである。もうひとつ、若者たちの心を占領しているのは恋の悩みだ。
ゆえに古今東西の文学も「出世と恋愛」を大きなテーマとして描いてきた。いわゆる青春小説や恋愛小説がそれに当たる。もしこの種の小説がなかったら、誰も青春の悩みにとらわれることはなく、しかし誰も恋愛なんかできなかっただろう。
ただ日本の若者たちはみな、うじうじ、ぐだぐだ悩んでいる。若い頃には、それが本当に嫌だった。似たような印象を持っている読者も多いのではなかろうか。
こうした文学作品は、大人になってから読んだほうが、じつはおもしろいのである。そこで描かれた悩みは、なべて身に覚えのある話だったり、どこかで見聞きしたことのある話だったりするし、深読みや裏読みもできるようになるからだ。そんなわけで本書では、大人になったあなたとともに、近代の青春小説と恋愛小説を読んでみたい。
最初にいっておくと、近代日本の青春小説はみんな同じだ。「みんな同じ」は誇張だが、そう錯覚しても仕方ないほど、似たような主人公の似たような悩みが描かれる。
1.主人公は地方から上京してきた青年である。
2.彼は都会的な女性に魅了される。
3.しかし彼は何もできずに、結局ふられる。
以上が青春小説の黄金パターン。「告白できない男たち」の物語と呼んでおこう。
青春とは何か、というのは簡単には定義できない命題だけれど、前提として必要なのは「精神的な親離れ」だろう。経済的には自立していなくとも、親を「うっとうしい存在」と感じはじめたら、それはもう青春への入り口だ。家族より友達や仲間といっしょにいることを好み、場合によっては親が敵に思えてくる。したがって「上京」は、主人公を親からむりやり引き剥がす手段としては、優れたモチーフといえる。
青春期はしかし、自分の将来が見えていない不安な時期だ。それでも彼は徐々に自分の世界を見つけ、人によっては「これで身を立てたい」と考えはじめる。
そうこうしているうちに主人公には好きな人ができる。恋愛という要素が加われば、もはや完璧に青春である。青春小説を青春小説たらしめているのは恋愛だとさえいえる。
しかし彼は必ず挫折し、失恋する。将来への展望は開けてこないし、恋愛も上手くいかない。当たり前である。10代や20代で、そんなに簡単に、夢が実現したり恋が成就したりしてたまるか、だ。