路面電車に「ハイカラさん」 旧制中学生が描いた鳥羽 乱歩館で発見
描いたのは旧三重県第三中学校(現・県立上野高校)の生徒だった小森正さん。縦24センチ、横1メートル26センチの紙に、上部に答志島や鳥羽湾、汽車や路面電車など鳥羽の風景が、下部にはかまをはいたハイカラな女学生や郵便配達夫、兵隊、おけを担いだ農民、自転車に乗った人、人力車、子守する子供などが描かれていた。当時の中学生が見たり聞いたりして思いついた人々の姿らしい。ポスターの中央部に一文字ずつ、「絵画展覧会」と書かれた色紙が貼られていた。
ポスターと共に、「上野中学校生徒作品」などの色紙があり、展覧会は小森さんと友人たちの作品展とみられる。会場の案内書に「大正九年」(1920年)と記されていたことから同年の開催らしいが、場所は分からない。
小森さんの当時の住所は、成績表などによると伊賀市柘植(つげ)町だったが、小学校時代の数年間を鳥羽市で暮らした。このころに、画家の竹久夢二の弟子といわれた風俗研究家で、改修前の江戸川乱歩館に住んでいた岩田準一(1900~45年)との交流が始まり、絵画の指導を受けていたらしい。小森さんは23年に18歳の若さで亡くなった。
岩田は日記に、「よもやこんなに早く死ぬとは考えていなかった。絵も彼はうますぎた。惜しいことをした」と記述。小森さんの死後、小森さんの水彩画の他、ノート類や成績表などの遺品を譲り受け、保管していたとみられる。ポスターはその中に含まれていた。
鳥羽市文化財専門員の野村史隆さんは「中学を休学するなど体が弱かった小森さんだが、貪欲に世間の動きを吸収していたのだろう。小森さんにとって絵画は唯一の楽しみだったと思われる」と話している。【林一茂】