杉本博司が自身の作品を通して解き明かす、日本文化に見られる特質とは?
銀塩写真作品で独自の作風と手法を追求することからそのキャリアをスタートさせた。20世紀後半に写真というメディアは芸術の表現手法の一つになったが、その立役者の一人として名を連ねる。杉本博司という作家はしばしばそのように説明される。
2000年頃から杉本の活動は領域を広げていく。香川県の直島〈護王神社〉の再建は芸術的なコンセプトと独自の歴史観に基づいて杉本が古い神社を改装しているが、この辺りから建築を本格的に手がけるようになっていった。
写真作品「観念の形」シリーズからの立体作品や同じく写真作品「仏の海」からの映像作品、あるいは人形浄瑠璃はじめ古典芸能の演出、プロデュースを手掛けたり、これも独自の解釈や表現を反映する「表具」、そして究極的には神奈川県小田原市に〈江之浦測候所〉という大規模スペシフィック空間を構想し、実現させた。同所は現在もさらに進化、拡張を続けている。
〈姫路市立美術館〉で開催中の『杉本博司 本歌取り―日本文化の伝承と飛翔』は多領域で活躍し、それぞれが高く評価されている多才な杉本が続けてきた創作の秘密を垣間見せるまたとない展示になっている。
「本歌取り」とは和歌の作成技法。有名な古歌の要素を自作に取り入れ、歌を作ること。この手法は和歌だけにとどまらず、茶の湯や工芸、建築にいたるまで見ることができる。杉本は「本歌取りこそ、日本文化の通奏低音である」と言い切っている。これは既存のものではない独自のものを求め続ける、あるいは既存のものを否定して新たなものを求めることを至上と課す欧米などの文化とはまるで対立する思考である。
そういえば、〈江之浦測候所〉に杉本が作った茶室《雨聴天》。その寸法は千利休作と言われる国宝の茶室《待庵》の図面から起こしたものだが、杉本流に屋根は古いトタン板で葺き、躙口を春分秋分の日の出の方角に向け、踏石は光学ガラスを使っている。あれも建築における見事な本歌取りだったといえる。
本展では杉本の創作の多くの部分で本歌取りを明かす構成をとっているが、まずは美術作家、杉本の原点ともいえる写真作品から見ていく。