人類史上もっとも文字を書いた男・南方熊楠は、驚くべき才能を多方面に発揮しながら、なぜ、その仕事のほとんどが未完に終わったのか
南方熊楠(1867~1941年)の魅力は、「未完の天才」という点にある。驚くほど多方面で才能を発揮し、生物研究ではキノコ、変形菌(粘菌)、シダ植物、淡水藻、貝類、昆虫、水棲爬虫類と幅広く扱い、熊楠の名が学名に付いた新種も少なくない。昭和天皇に「ご進講」といって生物学の講義をしたこともあった。人類学、民俗学、比較文化、江戸文芸、説話学、語源学といった人文科学系の分野でも業績が多い。
国際的な活躍もめざましく、世界最高峰の科学誌である「ネイチャー」には51篇、同じくイギリスの「ノーツ・アンド・クエリーズ(以下、N&Q)」には324篇もの英文論考が掲載された。キノコを巧みにスケッチしたかと思えば、十数ヵ国語を解し、また環境保護にとりくんだことで「エコロジーの先駆者」とも呼ばれる。とてつもない記憶力を誇り、十数年前にとったノートの内容をそらで思いだすことができた。ロンドン抜書や田辺抜書といったノートに数万ページにおよぶ筆写をおこない、「人類史上、もっとも字を書いた」といわれることもある。
我々熊楠研究者は、しばしば「熊楠って何をしたひとなんですか?」と質問されるが、簡単には回答できない。上に記したようなことをいろいろ並べるしかない。思想家とか科学者とか政治運動家とかいった、個別の分類にはあてはまらない人物。それが熊楠なのである。
そしてもうひとつ困るのが、「熊楠って、結局、何をなしとげたんですか?」という質問だ。熊楠はありあまるほどの才能をもっていた。とてつもない努力家でもあった。
しかし、熊楠の仕事はほとんどが未完に終わっているのである。睡眠中に見る夢のもつ意味を一生をかけて追い求めたが、最終的な結論は出ていない。柳田国男とともに日本の民俗学のを築いたものの、途中で喧嘩別れしてしまった。キノコの新種をいくつも発見していたのに、ほとんど発表していない。英語でも日本語でも多数の論考を書いたが、集大成となるような本はついに出版されずに終わっている。神社林を保護するために、日本で最初期にエコロジーの語を導入したが、もっとも大切な神社については守れなかった。
わたしは熊楠を研究して、今年(2023年)で22年になる。その感触からいうと、熊楠の魅力はこうした未完なところにあるのだと思う。ものすごいの才能をもち、ひとを惹きつけるキャラクターを備え、いかにも大きな仕事ができそうである。巨大な「可能性」の塊といえる。
ところが、中央の学会に認められない在野のままであったり、不遇のうちにロンドンから帰国しなければならなかったり、経済的に苦しい状況がつづいたりと、その力を発揮する機会が充分に得られなかった。もし熊楠が心ゆくまで仕事のできる環境にあったならば……! そうしたifが、ひとびとを熊楠に惹きつけるのだ。未完であるがゆえの、無限の可能性とでもいえようか。
いっぽうで、なぜ熊楠が仕事を完成させなかったのかについて、とても不思議に感じてもいる。もったいなく、歯がゆく思う。キノコの図鑑をまとめたり、民俗学の大著を出したりしていれば、ずっと高く評価され、大学でのポストや名声も得られただろうに。しかし、なぜか熊楠は完成を嫌う。未完性は、熊楠をめぐる最大の謎なのである。