【書評】古書の世界の“フィジカル”な感触『荒野の古本屋』(森岡督行 著・小学館)
ただし、紙の書籍は3年続けてほぼ横ばいで、電子書籍の増加分がそのままプラスという構図になっている。紙書籍は長期低落傾向が続いていたが、ここ3年、ある意味踏ん張っている。コロナ禍による巣ごもり需要が貢献しているのだろう。
紙の書籍は、英語でphysical book(フィジカルブック)という。physicalは「物質の・肉体の」という意味で、なかなか面白い表現だ。ちなみに電子書籍は、digital book(デジタルブック)あるいはe-book(イーブック)だ。
これらはいずれも新刊書だが、忘れてはならないのが、古書・古本である。
古書というのは実に味わい深い。たとえば、小説の導入部に、古書を通した知識人のほのかで一方的な関係が描かれることがある。森鴎外の『渋江抽斎』は武士の紳士録というべき『武鑑』の収集を行っていた時、その何冊かに「渋江」の蔵書印を見つけて、「渋江」が弘前藩の侍医であったことを突き止める。さらに親族などの取材を繰り返して、それが鴎外の世評高い史伝小説三部作の第一作目となった。また、柴田翔の『されどわれらが日々』も、古書店で買ったH全集の蔵書印がきっかけになってストーリーが展開していく。古書の世界は、時代を超えた人と人との出会いの場でもあったのだ。
さて、今回の書評は、その古書に世界に飛び込んだ青年が、やがて自らの古書店を持つにいたった悪戦苦闘を書き綴った『荒野の古本屋』(森岡督行 著・小学館)である。
「荒野の~」あるいは「~の荒野」というタイトルは昭和に好んで用いられていたが、このエッセイ集も全編を通して、「昭和」が香りたっている。ただし、話は平成9年から始まる。著者には懐古の嗜好があるのだろう。だが、よく読むとその懐古趣味には手触り、肌触りという、それこそphysical(フィジカル)な触感が感じられるのである。
たとえば自宅の東京・中野区の「中野ハウス」は戦前からの建物で、その名前からしていかにも「昭和」だ。ステンドグラスがはめ込んであり、ロフトは寝床になっていて、その下は滑車付きの収納庫。不動産業者がいうには、かつての石炭置き場なのだという。家賃は3万円。狭いが手ごろな家賃の同潤会アパートといった風情が漂う。
著者の森岡青年はもちろん本が大好きだった。大学を出たのち、週に2、3回のアルバイトをして1カ月の生活費は家賃を含めて6万5千円。アルバイト以外の時間は古い近代建築を見て回る散歩と図書館での読書三昧だった。
そして月に数回、予算の2000円を握りしめて神田神保町の古本街で古書漁りをしては喫茶店「リオ」で入手した本を楽しむ。「リオ」の女性店員との会話は青年らしく、ほのかな感情が漂う。他にも「エリカ」や「さぼうる」などの喫茶店が登場し、神田古本街になじみのある人は思わず口許を緩めてしまいそうだ。まさに、青年期のモラトリアム(社会に出るまでの執行猶予)の生活だ。
しかしこの森岡青年にもやがて転機がおとずれる。新聞で「本の街で働こう!」という一誠堂書店の求人広告を目にした青年は、突然、奮い立つ。
「ここなら、この先も『散歩』と『本』の生活からそれほど遠くないところに安住していられるのではないか。一誠堂書店は昭和初期の近代建築だし、古本に囲まれた環境なら、長く仕事をつづけられるのではないか」
自分の好きなことを職にできるというのは、なかなか得難い幸せだ。森岡青年もそのことは十分にわかっていたのだろう。不合格に備えての嘆願書まで用意していたのだから、のほほんと暮らしていた今までとは、まるで別人である。
めでたく合格した一誠堂書店は、明治36年の創業。玄関に刻まれた一誠堂書店の文字は徳富蘇峰の、また壁にかかる「一誠堂」の書幅は会津八一の筆である。有名な顧客は松本清張、井上靖、三島由紀夫、土門拳など。磨き上げられた床は総大理石で正面玄関の上部にはステンドグラスがはめ込んである。しかも地下には以前ボイラー室があり、なぜか彼がこだわる石炭置き場もあった。
彼が配属された一階の和書売り場には数百万円から一千万円以上の和書が並ぶ。そんな中での「落丁調べ」の思い出。仕入れた本に落丁、破損、汚れがないか調べる手作業で一見単調そうに見えるが、一日中ページをめくっていても飽きることがなかったという。さらに本の塵を落とす「山田ハケブラシ製作所」のブラシの使い勝手を絶賛する。手作業や道具に対するこだわり。いうまでもなく、それは手触り、肌触りといったphysical(フィジカル)なものと深い関係がある。