パトリック・ツァイ インタヴュー「後悔」とユーモアでつづる自画像
―インタヴュー映像をキャプチャーしたような写真の形式が独特ですが、このアイデアはどのような経緯で閃いたのでしょうか。
ある時偶然、YouTubeで映画監督のラース・フォン・トリアーが、デヴィッド・リンチ監督と初めて会ったときのエピソードを語るインタヴュー映像を見つけたんです。僕の恋人がリンチの大ファンだったので、彼の言葉が字幕として表示された画面を1コマ1コマスクリーンショットで撮影して、彼女にシェアしました。その後、自分のスマートフォンのカメラロールにその画像が保存されたのを見返して、動画で見たときよりも1枚ずつの写真として見たときのほうが、そのエピソードの面白さが強調されたように感じたんです。そこで、字幕付きインタヴュービデオのスクリーンショットには、ストーリーの面白さを強調する効果があると気がつきました。
―どのようなビデオだったのですか?
トリアー監督はおそらく薬を飲んでいたようで、その副作用なのか体や手が震えていたんです。たいてい、人はインタヴューされるときには「こういう風に自分を見せたい」と思って振る舞うものですが、彼のインタヴューを見ていると、彼が見せたいと意図している姿と、実際の彼が見せている姿の間にギャップがあることに面白さを感じました。
これは、例えばダイアン・アーバスが撮った写真の場合でも共通することで、アーバスの被写体になった人々は、彼女が撮った自分の写真を見て気に入らないと感じることが多かったようですが、アーバスは、それこそがその人らしい姿である、と語っていますよね。YouTubeなどでアーティストのインタヴューを見ていると、かなり真摯に自分の作品世界について説明するような内容のものがもちろん多いんですが、僕が面白いと思うのは、そのインタヴューの中で自分の作品と直接関係ないような話や、重要ではないと思えるくだらないエピソードを話す部分、アーティストが意識していない部分です。そこにこそアーティストの人となりや性格が現われると考えています。
―今回の写真集には、「決定的瞬間」「長いお別れ」などさまざまなテーマについて語る複数のエピソードが含まれています。その中でも例えば「ウェス・アンダーソン」のエピソードでは、何かが口に入ってしまったのを取るような、微妙な瞬間を撮った写真もありましたね。
この写真集ではひとつのエピソードを20枚の写真で構成しているのですが、同じ被写体が同じように座っているだけなので、あまり面白くないイメージが連続しています。これをビジュアル的にも面白くするにはどうしたらいいのか考え、退屈しないように工夫しました。
例えば「バトルシップ」のエピソードを最初に撮ったのですが、撮影した写真を見たら壁に蜘蛛がいて、自分の方にだんだん近づいてきていたことを発見しました。これは面白いと思って、こういうものを写真に加えていこうと思ったんです。「決定的瞬間」では歯にほうれん草がはさまっています。ただ、あまりやりすぎは良くないな、と思って控えめにはしています。