花や青草を敷いて香を焚き、豆を煎る……エチオピアの「コーヒーセレモニー」
エチオピアは別名「民族の博物館」とも呼ばれ、オロモ人(34%)、アムハラ人(27%)、ティグレ人(6%)のほか80以上もの民族から構成される多民族国家です。昔ながらの原始的な生活を送る少数民族も今なお暮らしているこの国には、じつに多種多様な文化や風習が混在しています。
興味深いことに、そうした風習の中には、今日の我々のやり方とは大きく異なるコーヒーの利用法が見られます。ただ、こうした利用法には後世になって生まれたものも含まれますので、ここで少し整理しておきましょう。
エチオピア独自の飲み方の中で、もっとも有名なのは「コーヒーセレモニー」でしょう。エチオピアやエリトリアで来客をもてなすときなどに行う、日本の茶道に似た雰囲気の儀式です。
部屋に花や青草を敷いて香を焚き、七輪にかけた鉄鍋の上で生豆を、ときおり杓でかき混ぜながら深煎りにします。煎りたての豆を客に回してその香りを楽しんでもらった後、木の臼と杵で豆を細かく潰し、ジェベナ(ジャバナ)と呼ばれるポットで煮出して、カップに注ぎ振る舞います。コーヒーを煎ったり淹れたりすることは、エチオピアでは主婦の嗜みなのだそうです。
ポップコーンなどをおやつに談笑しながら、通常3煎目まで、合計3杯飲むのが正式な作法です。生豆を煎るところから1時間半~2時間もかかる、じつにゆったりした儀式で、日本でもエチオピア料理の店で提供されたり、エチオピア関連のイベントなどで披露されたりしています(会場が火気厳禁で、豆を現場で煎れないことも多々あるようですが)。
ただし、このコーヒーセレモニーの様式は古い文献には見られず、出所がどうもはっきりしません。西南部のマジャンギル族が行う「カリオモン」という、コーヒーの葉などをお茶にして飲む風習が由来という説もありますが、実際に儀式で使われる用語にはアラビア語、ティグレ語、アムハラ語が入り交じり、器具や焙煎方法、淹れ方にはアラブの影響が色濃く見られます。
また、歴史背景からも比較的新しい時代に作られたと推定されます。エチオピアの歴史の中心は、北部~中央高地のアムハラ人やティグレ人を中心とするキリスト教徒(エチオピア正教徒)たちの国、つまりエチオピア帝国(1270~1974)で、彼らにはもともとコーヒーを飲む習慣もなければ、コーヒー生産にもあまり関わりがありませんでした。
また、植物学的分布から考えると、最初にコーヒーと出会ったのは彼らキリスト教徒ではなく、コーヒーノキの原産地であるエチオピア西南部の少数部族たちだと考えるほうが自然です。そこには独自の言語や文化を今でも受け継ぎ、コーヒーをさまざまなかたちで利用する部族が今なお多く暮らしています。
19世紀末、エチオピア皇帝メネリク2世が、北東部のコーヒー生産地であるハラーや西南部族の国々を統合。富国強兵によるエチオピアの近代化を目指した彼はコーヒー生産を奨励し、自らも率先してコーヒーを飲んでいたと言われています。ただし国民に飲用が広まったのは1930年代で、日本でコーヒーが普及したのとほぼ同時期です。コーヒーセレモニーが世界的に広く知られるのは90年代になってからなので、20世紀生まれの伝統なのかもしれません。