高松塚壁画発見50周年 世界遺産登録で新たなステージに
壁画の発見は昭和47年3月21日。奈良県立橿原考古学研究所の末永雅雄所長の総指揮の下、関西大などによる発掘調査で、石室内部から鮮やかな衣装に身を包む男女の群像のほか、青龍や白虎、玄武といった「四神図」、星空をデザインした「星宿(せいしゅく)図」などの極彩色壁画が見つかった。
末永所長の指示で調査をサポートした元橿考研副所長の泉森皎(こう)さん(80)は「日本にも壁画古墳はあるだろうと予測されていたが、実際に見つかってびっくりした。古墳・飛鳥時代を身近な世界に引き寄せたといえる発見で、文化財行政的にも画期的な出来事となった」と振り返る。
壁画は発見後、文化庁が管理。しかし、カビによる劣化が明らかになり、平成19年に石室を解体。令和2年まで、村内の施設で修復作業が行われた。発見直後に壁画を見ている泉森さんは、「石室の湿度が高く、当時は今よりずっと鮮やかだった」と話す。
現在、壁画が保管されている文化庁の施設は修復用の暫定的施設で、保存・展示用ではない。同庁は新施設を古墳の近くに建設することを計画しており、基本構想の策定を進めている。
明日香村では昭和58年、キトラ古墳でも極彩色壁画(国宝)が発見されている。県や村などは、藤原宮跡(奈良県橿原市)などとともに高松塚壁画やキトラ壁画を「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産として、令和6年の世界遺産登録を目指している。
世界遺産登録に向けた専門委員会の委員長を務める木下正史・東京学芸大名誉教授は「見た目が素晴らしく、考古学をわかりやすいものにした、という点で、壁画発見は時代を画する成果だった」と指摘。一方、「『飛鳥美人』ばかりに目を奪われるのではなく、壁画に込められた宇宙観や社会観などを知ることが必要。東アジア社会の中での壁画の位置付けを今後、新しい展示施設で、きちんと説明すべきだ」と話している。(野崎貴宮)