渡仏して戦略的にミシュラン獲得 シェフがいま考える「料理」の意味
Kitchen & Companyの中道大輔がナビゲートするPodcast「VISION TO THE FUTURE」とForbes JAPANがコラボレート。国内外で活躍する“視点”のあるゲストとともに、考え、発信していく。
8月29日配信は、南仏ニースに構えるレストラン「KEISUKE MATSUSHIMA」の代表取締役兼総料理長である松嶋啓介がゲスト。20歳でフランスに渡り、28歳でミシュランの星を獲得。さらに日本に出店するまでの戦略を聞いた。
中道:今回は「KEISUKE MATSUSHIMA」の代表取締役兼総料理長である松嶋啓介さんをお迎えしてお届けします。こんにちは、今日はフランスから、どうもありがとうございます。
松嶋:こんにちは。
中道:松嶋さんは20歳でフランスへ渡り、各地で修行を重ねた後、25歳でニースにレストランをオープンされました。地元の素材を生かした斬新な料理が評判を呼び、2006年の28歳のときに、フランスのミシュラン一つ星を外国人最年少で獲得しています。
2010年7月には仏政府からシェフとして初めて、最年少で「芸術文化勲章」、2016年12月にも同政府より「農事功労章」を授与されています。日本帰国時には、「パパだけの料理教室」「美食の寺子屋」「食から学ぶ経営術の料理教室」など日仏の食文化を守りながら、本当の豊かさを学ぶ料理教室の活動を始め、団体・企業等で講演会も行っています。
実は僕自身も、日本のカルチャーを世界に浸透させていくというミッションを持ちながら会社を経営しています。そのなかで食文化は絶対外せないと思い、トライアンドエラーを繰り返しながら、自分でも代々木上原に小さなお店を作ってみました。
当然簡単にできるものではないとわかっていたものの、本当に料理の世界は難しいと日々実感しています。松嶋さんは並大抵の努力ではなかっただろうと想像できますが、20歳でフランスに渡った経緯を含め、どのようなキャリアを歩んできましたか。
松嶋:20歳のときは、出身の福岡から東京に出て学生時代を過ごし、東京のあるレストランでアルバイトとして働いていました。ちょうどバブルがはじけた後で、日本に閉塞感が漂っていた時期でもあり、レストランのサービスマンとして仕事をしながら、今後のキャリアについて考えることもありました。
当時勤めていたお店には、フランスで15年間働いた方をはじめ、実績のあるシェフが揃っていたこともあり、彼ら以上のことを成し遂げない限りは自分にチャンスが舞い込むことはない、それはどうすれば実現できるかと考えていましたね。
中道:フランスに渡ることは、以前から決めていましたか。
松嶋:決めていました。それも、帰国してから日本で店を出すのではなく、フランスで自分の店を出すと決めていました。そもそも誰もやっていないことでなければ評価もされないと考えていたので、当時からミシュランで星を獲得することを頭に入れて、渡仏の準備をしていたと言えますね。
当時の準備が十分だったかどうかはわかりませんが、若さからか根拠のない自信もあり、「誰もやらなかったことをやるんだ」とは強く思っていました。