【書評】「朱」から古代国家の秘密を探る 『邪馬台国は「朱の王国」だった』(蒲池明弘 著・文藝春秋)
『サピエンス全史』は、人類の曙の時代、我々の属するホモ・サピエンスが生き延びたのは、「共同幻想」を持つことができた唯一の種であるからだと説明する。つまり、共同で幻想を持つことによって社会性が発達し、他の種では達成できなかったことを協働的な努力によって達成できたとするのである。そしてホモ・サピエンスは、共同幻想によって歴史を築き上げていく。国家も宗教も、貨幣も大東亜共栄圏も社会主義革命も、すべては共同幻想、あるいはその賜物なのである。オリンピックが共同幻想の賜物だといえば、納得できる人も多いのではないだろうか。
もちろん、この歴史叙述の手法は万能ではない。歴史という複雑な有機体を1つ2つの切り口で理解しようとするのは、納得感はあるかもしれないが、けっして全体像をつかんだことにならないし、そもそも歴史の全体像をつかむことが可能かどうかも怪しい。この手法は、歴史のメガな通史よりも、細分化された歴史のほうが有効ではないだろうか。
そこで今回の書評は、『邪馬台国は「朱の王国」だった』(蒲池明弘 著・文藝春秋)である。これもタイトルが物語るように、1つのモノを切り口にして邪馬台国の秘密を探ろうとするものだ。著者は元・読売新聞の経済部記者。それゆえか、各所に経済記者らしい視点が織り込まれている。