世界文化賞・ヴェンダース監督のドライブ・マイ・カー 旅は音楽と共に
ヴィム・ヴェンダース監督は、第二次世界大戦が終わった1945年に生まれた。幼い頃からアメリカ文化に魅了され、映画や音楽、コミックが大好きだった。ロックもその一つで、後の監督作品に色濃く反映されている。
筆者は、彼が故ジョン・レノン(1940―1980)やリンゴ・スターの5歳下、ポール・マッカートニーの3歳下、故ジョージ・ハリスン(1943―2001)の2歳下という事実に着目したい。この世代はリズム&ブルース、ロックンロールの洗礼をリアルタイムで体感している。彼の音楽体験を聞いてみた。
ヴィム・ヴェンダース(以下、WW):
16歳か17歳のときに自分で音楽を作り始めました。ジョン・コルトレーン※を尊敬しサックスを演奏していましたが、すぐに自分はコルトレーンではないことに気づきました。
自分に才能があったとは思えません。自分で演奏するよりも、レコードをかける方がずっと得意でしたが、音楽への思いはずっと持ち続けています。音楽は私の人生にインスピレーションを与え続けるのです。
ロックンロールやブルースだけでなく、ワールドミュージック、特にアフリカンミュージック。そしてジャズやクラシック音楽など、私は膨大なレコードコレクションに囲まれています。毎日、とんでもない量の音楽を聴いていますよ。
※ジョン・コルトレーン(1926―1967):モダンジャズを代表するアメリカ人サックスプレーヤー。
WW:
だから映画を作り始めたとき、自分で編集して音楽をつけることは画期的な経験でした。お気に入りの音楽を自分が撮った映像にはめ込むとどうなるか。そうすると突然すべてが変わり、映像がまったく新しいものに見えてくるのです。
別の楽曲を使えば、別の映画になります。映画学校で初めて経験したこのことが、私の映画作りの原点なのです。映像と音楽が初めて出会う瞬間は、とても素晴らしいことなのです。
映画にどんな音楽が必要になるか。あらかじめ分かることもあれば、撮影中に分かることもあります。一番美しいのは、ロードムービーのように車に乗るとラジオから音楽が流れているような、最初からそこに音楽があることです。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などは音楽そのものがテーマになっていますが、それも私の得意とするところです。