「天智天皇欽仰之碑」失われた銘板の姿は?…確認できる写真、佐賀県基山町教育委が募る
基山は福岡県筑紫野市との県境に位置し、一帯は国特別史跡「基肄城跡」に指定されている。町教委によると、基肄城は倭国が白村江の戦いで敗れた後、唐・新羅連合軍の攻撃から大宰府を守るために造られた山城で、天智天皇の命によって665年に築かれたと伝わる。
欽仰之碑はこの天智天皇を敬うもので、「肥前史談会」という団体が趣意書を作成し、1933年(昭和8年)6月10日に建てられた。石造りの台座の上に銅製の柱が立っており、全体の高さは7・8メートル。台座には横長の銘板がはめ込まれていたような跡があるが、現在は何も付いていない。
「戦時中に金属供出されたのかも」「もしかして、最初から何も付いていなかったのでは」――。町民の間にはそんな声もあるが、銘板がない理由は謎のまま。町教委は、肥前史談会の会報に掲載された除幕式の写真を持っているが、肝心の部分は隠れてしまっている。他に見つかった古い写真も画像が鮮明でなく、どんな銘板があったかは確認できないという。
一方、基山は町のシンボルとして住民に親しまれ、登山者も多い。そこで、町教委は「家族で登った時の記念写真などに銘板が写っていないか」と期待し、広く協力を求めることにした。昭和初期~1965年(昭和40年)頃の写真の提供を呼びかけており、有力なものが見つかれば、それを参考にして銘板を作りたい考えだ。
また、碑と同時期に造られ、避難所として使われた「通天洞」や、かつて建物があった展望所についても調査する予定で、これらの写真も探している。