移住先を探していたインド古典音楽家 “不利な環境”でも不思議なご縁で日本に導かれる
シャイアンさんは子どもの頃から感性が豊かで、絵や音楽が得意だった。ドラムやギターなどさまざまな楽器を演奏する中でフルートに出会ったが、「ルールが決まったものではなく、もっと自由で即興的な音楽がやりたい」という思いがあった。
「規則やルールがたくさんある学校教育に疑問を持っていました。自由に自然の中で走り回っていたい。それが即興音楽を求めることにつながっていきました」
そんなあるとき、知人からインド音楽のレコードを聴かせてもらった。
「僕がずっと探していたものはこれだ!」と、すぐに悟った。演奏者はインド古典音楽界の巨匠である「Pt. ハリプラサッド・チャウラシア」。のちにシャイアンさんの師匠となる人だ。
ずっと探し求めてきた自分の音楽を見つけたシャイアンさんは、3週間後にインドへ飛び立った。
インドに3か月滞在して、バンスリを習った。帰国後すぐ、Pt. チャウラシア氏のコンサートが偶然にもロンドンで行われることを知る。行くと、何千人も入るような大きな会場で「こんなに有名な人だったのか」と驚いた。そして演奏後に話しかけにいき、弟子入りした。
シャイアンさんはインドで修行を重ね、そして一人でも世界各地で演奏を披露するようになっていった。
日本にも度々来日し、コンサートをしていたが、日本ではワールドミュージックはまったく人気がないことに気づいた。お寺やカフェで数十人のお客さんのみということもザラ。日本では、他国のように設備の整ったコンサートホールで演奏する機会はほとんどない。それでも、なぜか日本に導かれ続けた。
そして2年前、静岡県の小さなカフェでコンサートを開いたとき、ある夫婦に「インド音楽ってどんなもの?」と、質問をされた。
「僕はこの手の質問にうんざりしていました。インド音楽は心や感覚で感じるもの。でも、日本人は論理的に思考で理解しようとする人が多いんです」
設備が整っていない環境や、他国と違い集まらない観客にいら立ちを覚えることもあった。しかし、このコンサートでは不思議とリラックスして演奏できたという。そして以前は不快に思っていた質問にも、心から素直に答えられた。
「このときは、直感的に『目の前の人に向き合い、自分の持てるものすべてを与えよう』と感じました。すると僕の回答に相手は子どものように興奮して、それまでと反応が違ったんです」