根は優しく気弱、落語はまるでジャズ 芸歴60年、弟子の目に映った「桂ざこば」とは 13日、尼崎で一門会
「昔と比べて随分、人間が丸くならはった」というのが1977年、22歳で当時、まだ朝丸を名乗っていたざこばに入門した一番弟子の塩鯛(入門当時、都丸)。かつては仕事後に大阪・北新地に出かけ、3軒、4軒とはしご、一晩で何十万も使ったことも。「当時はそれがステータスと考えていたし、超高速と言われた落語スタイルの活力にもなっていたのでは」と振り返る。
ところが「根は優しくて、気の弱いところがある」と塩鯛。高座に上がって落語の世界に入り込み、感情があふれ出てしまうところを何度も目撃した。
人情噺(ばなし)「一文笛(いちもんぶえ)」は、貧乏だからと駄菓子屋で邪険にされている子どもをかわいそうに思ったスリが、店の一文笛を盗んで子どもの着物のたもとに入れる。だがそれがあだとなって、子どもは井戸に身を投げてしまう。「子どもをかわいそうに思うなら、なんで笛を買うたらへんかったんや…」と、ざこばは高座でおいおい泣き出し、「すんまへんけど、もうできまへん」と舞台を下りてしまった。「収拾つけるのに往生しました」と塩鯛は苦笑しながらも懐かしそう。
ざこばが40代のころ、独演会で「百年目」を披露することになったのだが、当日の昼になって初めて「聞いてくれへんか」と稽古を始めた。「でもそれが、ボロボロやった」。2回目は少しましになり、会場へ向かう車の中で「もういっぺん」と3回目。ようやく形がついてきた。
いよいよ本番となり、昼間の稽古のひどさのかけらも見せない、素晴らしいできだったという。塩鯛は「師匠の落語はジャズ。まるで即興演奏のように、会場でお客さんの雰囲気も力にしながら物語を作っていく。ある種の天才です。まねしようと思うてもできまへん」と評する。
「落語台本が師匠の言葉でいつのまにかざこば味になる。師匠のようになりたいと思っても、練習しているうちに無理だと気付く」というのは2000年入門の桂ひろば。10年ほど前、ざこばが高校生を前に「桃太郎」を話したときのことが印象に残っている。「軽い前座噺(ばなし)だが、決して惰性で話すことはなく、どっかんどっかんうけていた」
ざこばの兄弟子、故桂枝雀を父に持つ桂りょうば(15年入門)は「師匠は家でも舞台でも『ざこば』。(父の)枝雀とはそこがちがう」と素の顔を明かす。
3人が口をそろえるのは「生」のざこば落語のよさ。「肌で感じるというか…画面で見るのとは全く違う」そう。1人でも多くの人に、その魅力に触れてほしいと願う。
「なんや追善公演みたいですねえ。いやいや、師匠、元気で出てきますんで」
午後2時開演。一般3千円、高校生以下1500円。ピッコロシアターTEL06・6426・1940