【新刊紹介】いまの世に問う碩学の思想:上野誠著『折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』
本書は全集に収められた折口信夫の膨大な著作のなかから、著者が一般の読者に向けて、日本文化の由来について知ってもらうために、これはと思う記述を引用して読み解いたものである。「まれびと」とは何か。著者の語り口は平明で、スッと頭に入ってくる。碩学の思想を学びたい人に是非お薦めしたい一冊だ。
日本の文学や文化に関心のある多くの人びとは、折口信夫の著作を読まねばならないと思っている。それは強迫観念に近い。
と、著者は書く。かつて知識人の間では、折口を避けては通れない時代があった。しかし、膨大な古典の知識をもとにした、その著作の数々は手ごわいものであり、彼を師と仰ぐ、万葉研究では第一人者である本書の著者・上野誠国学院大学特別専任教授ですら、「じつは、私自身もそのすべてがわかっているのか、と言われると、わからないところもたくさんある」と。
なぜいま折口なのか。「これは折口先生へのレポートです」と著者は語るが、
日本文化を高い視座から大きく見渡す(略)折口信夫は、高いところから、日本文化と日本文化の継承者たる人びとの生活を見ていて、「みちしるべ」を立てる人だと思う。
と、本書で書いている。折口信夫(1887~1953年)は、国文学者にして民俗学者であり、「釈迢空」の名で歌人としてもすぐれた作品を数々残した。本書の内容は、そんな折口の全集のなかから、日本の文化の由来について、なかでも日本人にとっての「神」「魂」「芸能」などについての記述を上野流に解説したものである。そこには今日につながる事例が数多く紹介されている。本書を読めば、折口信夫の学問の全体像が、われわれでもおぼろげながらつかむことができるであろう。
表題にある「まれびと」とは何か。「稀に来る人」はどこからやってくるか。
「異郷からやって来る。異郷は憧れの対象であると同時に、恐れの対象でもありました。異郷から「まれびと」がやって来るという前提がなければ、折口信夫の学問はわかるものではありません。」
「時に稀なる神。つまり客としての性格をもってやって来る神。村々、家々にやって来る神をもてなすということが、古代社会においてはきわめて重要であった。」
「客を迎えることが日本文化や日本の文学を考える上で、きわめて重要だと折口信夫は考えていました。」
この、客を迎え、「もてなす」ために、祭りや神楽、舞踊、歌(万葉集、俳句、短歌)が生まれ、そこから華道、茶道、文学へと引き継がれていったと説いている。
折口の場合、どの著作にも、なぜ学問をするのかという問いが必ずあります。
と著者は書いている。明治維新以降、日本の生活様式は変わってしまった。
「だから、折口は、むしろ古典を勉強することによって、古いかたちの日本人の思考法を知ろうとした(略)昔のことを学ぶのではないのです。自分の心の中にあるものを明らかにするために、古典の研究をするのだというのです。」
敗戦後まもなく発表された折口の論考をひも解いて、著者は記す。いまの世にも必要であるだろう。
「折口は、日本の古典が持っている日本人の心の優雅さ、余裕、みやびやかさ、そういうものが、戦争に負けた今こそ、大切だと考えたのでした(略)自分たちが自分たちであることを実感できる時とは、自分たちが先祖から伝えられた古典文化を継承していると自覚した瞬間なのです。だからこそ、古典が大切なんだぞと、折口信夫は私たちに、語りかけているのです。」
滝野 雄作
書評家。大阪府出身。慶應義塾大学法学部卒業後、大手出版社に籍を置き、雑誌編集に30年携わる。雑誌連載小説で、松本清張、渡辺淳一、伊集院静、藤田宜永、佐々木譲、楡周平、林真理子などを担当。編集記事で、主に政治外交事件関連の特集記事を長く執筆していた。取材活動を通じて各方面に人脈があり、情報収集のよりよい方策を模索するうち、情報スパイ小説、ノンフィクションに関心が深くなった。