作家・早見和真さん「松山での6年は『八月の母』書くため」
◇目指した「小説家らしからぬ生活」
横浜市出身。松山を訪れる前は仕事に専念しようと、友との交流や酒を断ち人口7000人ほどの町、静岡県河津町で生活を続けた。誰とも関わらず、ひたすら作品に没入。小説家らしいともいえる日々を送る中で、女性死刑囚の人生を報道とは違うさまざまな視点から描いた「イノセント・デイズ」(新潮文庫)を生み出せたことも事実だが、「一番自分に似つかわしくない方法だった」ため、苦痛も伴った。その反動からか、知らない人しかいない松山の街で自身の人間性をむき出しにし、周りを巻き込む“小説家らしからぬ生活”を目指してきた。
県内の活動で印象に残っていることとして、愛媛を舞台に1匹の猫が大冒険する絵本「かなしきデブ猫ちゃん」シリーズの執筆を挙げる。愛媛の「表」と評したこの作品は、「地元の人と向き合いたい」との思いから18年に愛媛新聞で連載がスタート。しまなみ海道やミカン畑といった県内ならではの美しい景観に、県民性を表すような温かい性格の人々が生き生きと描かれている。同シリーズは惜しまれつつも、第3弾「マルのラストダンス」(愛媛新聞社)で愛媛編を終える。4月からは舞台を兵庫に移し、神戸新聞で新たに連載がスタートする。
では、裏は一体何を描いたのか。「デブ猫ちゃんで(県内の魅力を詰め込んだという)自負があるからこそ、裏を容赦なく書けた」と話すのが4日発刊の「八月の母」(KADOKAWA)だ。14年に伊予市で実際に起きた事件を題材にした。
団地の一室で少女が知人の若い男女に集団暴行された末に死亡する「調べただけでも憂鬱になる事件」。愛媛を訪れてすぐのころから知っていて「見て見ぬふりをしていたが、イノセント・デイズを超える作品を書きたいと思った時に、改めて事件と向き合った」。
小説を執筆するにあたり、「強烈な母性によって引き起こされた」との仮説を立てた。伊予市に通いながら関係者にその仮説をぶつける度に裏付けるような話がたくさん出てきて、作品の後ろ盾を次々と得た。
作中では事件の過程を追いつつ、「悪意のない思考停止」「前例がないことへの拒絶」といった愛媛の住民に感じた違和感を作品に落とし込んだ。「『早見は最後の最後に愛媛の悪い部分をふんだんに盛り込んだ作品を出したひどいやつだ』、なんて声もあるかもしれない」との不安を口にしながらも、深い愛情があるからこそ愛媛の現状を痛烈に指摘する。3代にわたる「母と娘」のゆがんだらせんの先に、「ラストシーンにたどり着くために積み上げてきた」という、渾身(こんしん)のエピローグを鮮やかに描き上げた。
◇次の東京で狙う「直木賞以上」
「静岡で手に入れた作品が『イノセント・デイズ』なら、松山での胸を張れる代表作は『八月の母』。この一冊を書くために松山に来た」と強い手応えを感じている。次の東京で狙うのは“直木賞”以上の作品。「すべての評価を自分に集める」と静かな、ただ強い闘志を宿し前を向いた。【遠藤龍】
◇早見和真(はやみ・かずまさ)さん
2008年、野球強豪校の補欠選手を主人公にした小説「ひゃくはち」で作家デビュー。ミステリー小説「イノセント・デイズ」で日本推理作家協会賞。「ザ・ロイヤルファミリー」で山本周五郎賞とJRA賞馬事文化賞。