「目立たぬもの」へ――20世紀最大の哲学者、その最後の境地
にあったハイデガー。彼が生涯の最後に理想としたのは「野の道」という、地
味で目立たない、このうえもなく「ローカル」なものでした。
1950年代に入ると、ハイデガーはアレマン地方出身の詩人ヨハン・ペーター・へーベル(1760―1826)についての講演を繰り返し行うようになってゆく。アレマン地方はドイツ南西部からスイスのバーゼルあたりまでの地域を包括し、ハイデガーが自宅をもっていたフライブルク、彼の山荘があったシュヴァルツヴァルト、生地のメスキルヒも含んでいる。要するにアレマン地方とは彼の故郷であり、へーベルは彼にとって故郷の詩人である。
へーベルの代表作はアレマン地方の方言、すなわちアレマン語で書かれた『アレマン語詩集』である。ハイデガーはヘーベルを取り上げた講演で、この詩集に収録されたアレマン語の詩の数々を紹介し、その解釈を展開している。
アレマン語はドイツ語の方言だが、ドイツ標準語とはかなり形が異なっている(たとえばichがiとなったり、istがischとなったりする)。そのためアレマン語の辞書が存在し、またへーベルの『アレマン語詩集』にもドイツ語の対訳版が出ている。
私のようにドイツ語を母語としない者は、それらを参照してようやく理解できるといった感じである(私が南ドイツのバイエルン州ミュンヘンに滞在中、ドイツ語を教わっていた齢七十代のご婦人は、アレマン方言はバイエルン方言に似たところもあるので、へーベルの詩もおおよそは理解できるとのことだった)。
へーベルの『アレマン語詩集』は日本語にも翻訳されているので、興味のある方はそちらを参照していただきたい(ヨーハン・ペーター・ヘーベル『アレマン方言詩集』余川文彦訳、朝日出版社、1962年)。
彼の詩は、アレマン地方の自然やその中での農夫や庶民の生を愛情に満ちたまなざしで描き出す。そうした一見すると素朴で牧歌的な描写のうちに、人生についての深い知恵が示されているのがその詩の魅力である。
ハイデガーが第二次世界大戦後、ヘーベルという郷土の詩人に積極的に言及するようになったことは、ある意味、象徴的である。本書でも繰り返し指摘したとおり、彼の「存在への問い」は元来、「フォルク共同体」を基礎づけるという狙いをもっていた。
こうした彼の思想の政治的含意は、1933年の学長就任とともに前面に押し出されることになった。その際、そこではドイツの「フォルク」が「存在」に基づく共同体と定義されていた。
もともとこのような「ドイツのフォルク」の規定も、「ドイツ」や「フォルク」という語を近代的ナショナリズムの「主体」とは異なるものとして再定義する試みであった。
しかし彼の学長職が失敗に終わり、その後、ドイツ国家が際限ない自己膨張を目指す「主体」として戦争へと突き進んでいく中で、ハイデガーは「ドイツ」や「フォルク」という語は現存在のローカルなあり方を示すにはあまりに括括的にすぎ、近代ナショナリズムの「主体」と混同されることは避けられないと考えるようになっていった。
彼が戦後になって、アレマン地方やアレマン語というより地域的なものを強調するようになったのは、自身が目指しているものがナショナリズム的な「主体」とは異なることを明確に示そうとしてのことだろう。