「心の穴を閉じる小説を書いていきたい」第167回直木賞の窪美澄さん会見(全文)
司会:では窪さん、まず受賞された今のお気持ちからお願いいたします。
窪:はい。今日はコロナとか、すごい酷暑とかの中を皆さんお集まりいただきましてありがとうございました。今の気持ちですけれども、うれしさよりもまだ実感があまりなくて、なんか身体的な反応がすごく感情よりも先走ってまして、今さっき、そちらのびょうぶの裏にいたんですけれども汗が止まらず、飲んだお水のおいしいこと、おいしいこと。こんなにおいしいお水を飲んだのはなんか、生まれて初めてじゃないかっていうぐらいおいしかったです。だから、たぶん今すごくうれしいんだと思います。はい。
司会:ありがとうございました。では質疑応答に移ります。ご質問のある方、挙手をお願いいたします。はい。じゃあ奥の女性の方お願いします。
読売新聞:読売新聞の小杉と申します。
窪:よろしくお願いします。
読売新聞:よろしくお願いします。このたびはご受賞おめでとうございます。
窪:ありがとうございます。
読売新聞:林真理子委員の選評のほうでも清らかで美しい短編が並んでいるっていうことと、コロナからも逃げていないとありましたけれども、連載中にコロナ禍に見舞われたかと思うんですけども、コロナで小説についての思いが深まった思いとかありましたら教えてください。
窪:5編の中で2編がコロナについて書かれていると思うんですけれども、やっぱりこの3年間の間、非常に重いものを私も皆さんも抱えて生きていかなければいけなくて、せめて小説の中ではちょっと心が明るくなるようなものを書きたいというふうに思って書いたのがこの作品集です。一方で重い話も並行して書いていたんですけれども、なんとなく息苦しくなって窓を開けずにはいられないような中で、この本がちょっと息抜きになってくれればいいなと思って作品をつづってまいりました。
読売新聞:ありがとうございます。
窪:ありがとうございます。
読売新聞:窪さんもコロナになってから、書くものとか、書き方というのは変わったなって思うところありますか。
窪:特にコロナで変わったというのはないんですけども、私、子供が独立して1人で暮らしておりますので、とにかく小説家って孤独に強い職業だと思うんですけども、1人でいる時間が長くて、長くて、いったいこれはどうしたらいいんだろうと思いながら、なぜか、ごめんなさい。TikTokとか見てたりして、ネトフリとか見てたりとか。なんか小説を読まなくちゃと思うんですけども、なかなかそういう気持ちにならなかったりして、これは書き手として良くないんですけれども、なんか息抜きが欲しいなというふうに強く思うようになりました。
読売新聞:ありがとうございます。あと、窪さんの事前取材のときでもお伺いしましたけども、窪さんの小説には生、生きるの生と、【こざとへん 00:26:44】の性と、死というのをすごく感じるんですけれども、そのまるで集大成のような短編集かと思うんですけれども、この短編集への窪さんの思いはいかがでしょうか。