【書評】存在すら知らないこと:和泉真澄・坂下史子・土屋和代・三牧聖子・吉原真理著『私たちが声を上げるとき アメリカを変えた10の問い』
「なんとなく知っていること」と「理解していること」とは大きく違う。それぞれの時代にはキーワードがつきものだが、2021年から22年にかけては、“WLM”や“#MeToo”がそれだったと言える。これらはどんな思いを孕み、どこから生まれたのか。「なんとなく」が「理解」に近づく一冊。
「私は一アスリートである前に、一人の黒人女性です」
2020年8月、プロテニスプレイヤーの大坂なおみは、自身のブログに日本語と英語でこう綴った。
彼女がその後出場した全米オープンで、アメリカで警察官によって“殺された”黒人の犠牲者の名前を白文字で記した黒いマスクをつけて出場し、優勝したことは、多くの人が覚えているのではないか。
BLM(Black Lives Matter:黒人の人生が重要だ、とする主張)、ハリウッドのセクシャルハラスメントに端を発した#Me Too運動、性的マイノリティを表すLGBTQなど、人種や性をめぐるニュースは日々目にするものの、その背後にある物語まで知っているか、想像したことがあるか、と問われると自信がない。
「なんとなくこういうもののはず」
「うん、知ってる知ってる」
「大事なテーマだよね」
個別の事象を聞いた時には憤ったり考えたりするものの、一瞬ののちには通り過ぎている気がする。
5人の女性研究者の共著である本書は、そんなふんわりした認識をクリアに明るく照らし出す。
登場するのは大坂のほか、Z世代を代表する銃規制運動の中心的存在であるエマ・ゴンザレス(18歳)や連邦最高裁判事候補から過去に受けたセクシャル・ハラスメントを司法委員会の公聴会で毅然と証言したクリスティーン・ブラゼイ・フォード(51歳)のほか、性差別を訴える裁判を弁護し、男性判事を相手に歴史的な判例を数々作ってきたアメリカ最高裁判所判事で、犯罪や死をテーマにした歌を作り続けたラッパー「ノトーリアスB.I.G.」をもじって、「ノトーリアスRBG」のニックネームで知られたルース・ベイダー・ギンズバーグ(2020年死去)。
1955年、バスで白人に席を譲らなかったことで逮捕され、のち、「公民権運動の母」とも呼ばれるようになったローザ・パークス(2005年死去)など、10人のアメリカ人女性(※ハワイアン主権運動のシンボル、ハウナニ=ケイ・トラスクは自らを「アメリカ人ではなくハワイアン」と称している)。
冒頭に挙げた大坂の言葉のように、それぞれが口にした印象的な一言を引きながら、その言葉が生まれた時代背景や環境、怒りや希望がまとめられている。
大坂なおみはなぜ、全米オープンでマスクをつけることを選択したのか。
ノトーリアスRBGは、どんな気持ちで自分を揶揄する男性判事たちと対峙していたのか。
アメリカのマイノリティ、なかでも有色人種の女性たちがどのような歴史を生きてきたのかが、研究者の手によって教科書やメディアとはまた異なる形で描かれることで、「ああそうか」「だから彼女たちは行動しなければならなかったのか」と、点と点がつながり線が浮かび上がってくる。
生まれ育った地域で見聞きし、肌で感じてきた自分や周りの大人に対する差別。
たとえ圧倒的に成績に秀でていても、よいとされる地位は男性に与えられていくという経験と、沈黙が是とされている違和感。
何か明確なきっかけがあるのではなく、積み重なった記憶と経験が、あるときマグマのように外側に溢れ出てきたのだろう。
その背負ってきた荷物の、なんと重いことか。