原稿用紙305枚の立花隆「幻の生原稿」が35年ぶりに世に出た理由が凄すぎる
故・立花隆氏が35年前に取材を行い、原稿も途中まで書き上げ、さらには表紙もいったんは印刷された書籍は、その後、「封印」されていた。だが今回、35年の時を経て、共著者である写真家・佐々木芳郎氏の手により、『インディオの聖像』(文藝春秋)が発表される。いったいこの過程で何があったのか? 驚きのドラマを、前編に引き続き、佐々木芳郎氏が綴る。
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実は2度目の南米訪問時には、現地取材や撮影の許諾を前回よりも得やすくするため、パラグアイの首都アスンシオンでカメラマンになって初の写真展も開催した。
大統領以外の閣僚が参列した開会式典は、新聞・テレビで放映され、さらにパラグアイ政府観光局長のエスコバール氏より、思いがけない提案を受ける。
「実は来年5月にローマ教皇ヨハネパウロ2世が南米を訪れる予定で、パラグアイ訪問のタイミングは彼のお誕生日前後になるだろう。その時に君がパラグアイで撮影した写真集をパパに献本するのはどうだろう」と耳打ちされたのだ。
帰国後、僕は大喜びで再撮影したポジフィルムを持って、シェ・タチバナ(立花さんの自宅)へ訪問。新たに撮影した作品を見せながら報告した。何としても9ヵ月後のローマ教皇の謁見に向けて、「写真集を完成させよう!」と盛り上がり、2人で赤ワインを飲み干した。
ところが立花さんの原稿は、ペラ(200字詰め原稿用紙)305枚までかきあげたが、ローマ教皇謁見までにまにあわないことがわかった。
僕は講談社の担当編集者の立脇宏さん(故)に泣きついて、立花さんの原稿部分が白紙の、写真のみ印刷した『インディオの聖像』を4冊作ってもらった。この文字のない写真集の1冊はローマ教皇ヨハネパウロ2世が持ち帰り、バチカンに所蔵されている。あとの2冊は、パラグアイ大統領 ストロエスネル氏(クーデターによりブラジルに亡命)と観光局長に贈り、そして最後の1冊は僕が保管している。