私と新聞 簡潔な記事 読解力測る指標に 数学者 新井紀子さん
■参考になる文体
私は、文章をどれだけ正確に読むことができるかという基礎的読解力を診断するリーディングスキルテスト(RST)を平成28年に開発し、小学5年生から大人までの読解力を調査しています。
RSTの主要な出典元は教科書と辞典、それから新聞です。全国紙やブロック紙を発行している数社にご協力いただき、客観的事実に関する記事を選んで作問しています。こういう記事は読めてほしいけれども、意外と読めないかもしれないという文章を抽出するようにしています。実際、読もうと思っても読めない方は、一流企業の社員の方の中にも相当数います。
新聞の紙面には字数制限がある中で、各社が事実を正しく簡潔に伝えようと工夫し、培ってきた文体がありますよね。新聞の文体というのは、日本人が説明文を書くとき、無意識に参考にするスタンダードといえるのではないでしょうか。
社会で一般常識として共有されているような記事を正確に読めるかどうかは、読解力を測る重要な指標であり、誤読しない力は民主主義を支える基盤だと思っています。
■留学中も情報源に
そういう私は活字中毒で、字を見つければ広告でも何でも読まずにいられない人間。活字に対し信仰に近いあこがれを抱いていた祖父母の影響もあり、物心ついたころから新聞が身近にありました。
小学生のころにテレビ欄をチェックし始め、父の仕事の都合で引っ越し、祖父母と離れてからも新聞を読む生活が続きました。日本の新聞を読まなかったのは、大学時代に米国に留学した6年半のうち、寮に入った最初の1年間だけ。
留学中は1980年代。バブルの日本が(地価の高騰による不動産投資ブームに乗じ)「カリフォルニア州を買うってほんと?」などと米国の知人から聞かれました。インターネットはまだ普及しておらず、日本で一体何が起こっているんだろうと。現地の図書館でアルバイトをし、半月遅れで届く日本の新聞を楽しみにしていたことを覚えています。
現在は私と夫、娘の3人が毎朝、食卓で面白いと感じた記事を紹介し合っています。もともと夫との間で始まった習慣ですが、自然と娘も加わるようになりました。「いま読んでいたのに」と新聞の取り合いになることもあるんですよ。
私の場合は仕事柄、特にデジタルや教育に関わる記事が気になりますね。といっても、例えばAIの技術的なトレンドについては論文や専門誌で情報を入手しているので、関心の対象はそうした専門的、技術的な話題を「新聞が一般読者にどのように伝えようとしているのか」という点です。
■活字に触れる生活
専門誌などで先行して話題になったテーマが新聞を通じてどのような論争に発展し、社会に影響を及ぼしていくのかといった点にも関心があります。その意味で、新聞は世の中の数ある事象の「最大公約数」をまとめてくれる機能があり、参考になります。
20年近く前、グーグルなどの検索サイトが使われるようになってから「新聞を購読していない」と公言する知識人が出始めるようになったと記憶しています。ただ昔の学者と違い、今の研究者は狭い分野のエキスパートであり、だからこそ「最大公約数」を提示する紙の新聞を読むべきだというのが私の持論です。
何よりも、子供のころから活字に触れる生活が、読解力や知識を深める上では重要だと考えています。
私は、新聞をまたぐことを許さなかった祖父母から活字に対するこだわりを受け継ぎ、結婚後は家族の間で新聞記事を教え合う生活を送っています。習慣として紙の新聞を購読し続けることにどれほどの効果があるのか、数値化はできません。ただ「古紙回収はエコじゃない」「どうしても読みたければデジタルで読めばいい」など、一見合理的にみえる考え方によって失うものは意外と大きいのではないかと思っています。(聞き手 清宮真一)
■新井流 読むポイント
・朝食時に家族で面白い記事を紹介し合う
・専門的話題を新聞がどう報じるかに関心
・世の事象の「最大公約数」として参考に