「無駄なもの」に価値見いだす 美術家・岡田裕子さん、ヒントは妖怪
東京を拠点にする岡田さんは2021年夏、米子で滞在制作を始めた。地元の図書館を訪れ、県出身の漫画家、水木しげるさんの自伝的作品を読み、当時の生活に当たり前のように存在していた妖怪に創作のヒントを得た。「妖怪も、精霊も、幽霊も私は見たことがない。もしかしたら、現代はそれらの居場所がなくなってしまったのかもしれない」。今やすっかり忘れ去られ、「息を潜めて存在しているモノたち」に目を向けたのが今展だ。「精霊のように妖怪のように密(ひそ)やかな吐息が聞こえるような展覧会」と岡田さんは表現する。
◇「実態のない」作品
冒頭を飾る和紙のシリーズは、廃業した市内の旅館から引き取った柱時計や電話、日本人形などをパステルやクレヨンで転写したもの。モノの表面に紙を当てて鉛筆などでこすりながら写し取る技法「フロッタージュ」を初めて自身の制作に取り入れた。「描くというより触っている感覚。手触りでモノを感じながら、そのモノ自体がいとしくなってくるのが面白くて、はまりました」。掛け軸のようにつられた大小の紙は、さながら幽霊のようにゆらゆらと漂う。
インスタレーション「イマココニイマス」では招き猫やほうきといった不用品を原型にした白い張り子が動き出す。絵付けのされていない“のっぺらぼう”のオブジェ群は、ニャーと鳴いたり、くるくる回ったり、不気味ながらも何やら楽しげだ。シリーズ「トランスフォーム」では市井の人物をモデルにした顔ハメ看板を作品化。昭和期と現在の米子市内の風景が背景に映像で流れ、来館者は記念撮影ができる。「抜け殻」の張り子も、表面をなぞったフロッタージュも、顔がくりぬかれた看板も、「実態のない」影のような存在に過ぎないが、作家の手を介して立派な「美術作品」に生まれ変わった。既存の価値を揺さぶるその試みは、いわく「現代美術の醍醐味(だいごみ)」でもある。
岡田さんは男性の妊娠や未来の再生医療など社会的なテーマの作品を発表してきた。滞在制作の成果展である今展では「いろんな人やモノに出会い、そこから発想を広げるよう自分の頭の中をコントロールした」と話す。展覧会を主催する任意団体「AIR475(エアヨナゴ)」は県外からアーティストを招き、地域住民らと協働で制作する取り組みを13年から続ける。岡田さんは美術家、三田村光土里(みどり)さんと共に21年の招へい作家に選ばれ、1カ月近く市内に滞在。「周りの人を巻き込みながら、やったことのないことをお互いやるのがレジデンスのいいところ」。張り子の制作は島根大、モノを動かす技術は米子高専の協力があり、岡田作品に新たな広がりをもたらした。
◇置き去りにされた過去
もう一室では、関連展示としてAIR475の活動を紹介する記録映像のほか、三田村さんの「365日の百科事典」なども並ぶ。岡田さん同様、秋に商店街の元空き店舗を改装した町家で成果展が開かれるが、その序章のような展示だ。三田村さんは自宅にあった百科事典を滞在先に持ち込み、毎日20ページずつ、目についた写真や図を薄紙の上に描き写してコラージュした。それを三田村さんは「置き去りにされた過去の記憶にカメラを向けて、新たにシャッターを切るような作業」と言い表す。事典は自身が生まれる前年の1963年刊行で、「高度成長期で活気があった頃の郷愁にかられながら、この60年を振り返るような時間でした」と創作の日々を語る。
江戸時代に城下町として栄えた米子には、戦前までに建てられた町家が多く残る。岡田さんの個展には、とある建築家夫婦の「未来の家」の図面を実寸大で学校のグラウンドに描き、いまだ実態のない家について夫婦があれこれ語り合うビデオインスタレーションもある。かつての街のにぎわい、妖怪や精霊のささやき、架空のモノを巡る対話……。時間の積層する都市で展開される今展はたくさんの存在、たくさんの声に満ちている。
8月28日まで。水曜休館。三田村さんの個展は市内の「野波屋(旧末次太陽堂)」で9月23日~10月10日に開催。詳細はAIR475のホームページ(https://air475.com/)へ。【清水有香、写真も】