「あたりまえと信じてきたこと」を解体する。松村圭一郎さんに聞く文化人類学の面白さ
他者理解、人間の本性、秩序と権力、病と医療……。そんな切り口で文化人類学150年の歴史をたどる入門書『旋回する人類学』。この学問の魅力はどんなところにあるのだろう。『旋回する人類学』著者の松村圭一郎さんに聞いた。(聞き手:編集部)
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――松村さんにとっての、文化人類学の魅力はどんなところですか?
等身大の人間のスケールで世界や人類を考える学問の魅力に惹かれてきました。人類学のフィールドワークでは、身体や感情をもつ、一人の生身の人間として、対象とする人びとの生活に深く関わっていきます。そんな「私」の経験や実感をもとに、既存の常識的な観念に挑戦する。抽象的な思考だけに専念するのではなく、複雑な現実に軸足をおいて考えたほうが、世界のあらたなとらえ方にたどりつけるしたら、とてもスリリングだと思います。
私たちが日常的に目のあたりにしている現実には、つねに人間の思考力や想像力を超える豊かな可能性がある。そう人類学者は信じているのかもしれません。自分があたりまえだと信じてきたことが、いかに狭い視野の限定的な認識でしかなかったか。人類学という学問自体も、世界中のさまざまな人びとの暮らしに身をゆだね、その人間の多様性と普遍性から学ぶことで、くり返し人類学そのものを刷新してきました。その学問としての終わりない試行錯誤の道のりが、人類学を学ぶ「私」の試行錯誤と重なっているのも、おもしろいところだと思います。
――文化人類学に出会ったのは大学時代ですか?
大学に入るまで、文化人類学のことはほとんど知りませんでした。なんとなく「文化」には興味があるなと思って、文化人類学の授業をとったのがきっかけです。大学2年生のとき、はじめて島根半島でフィールドワークを経験して、そのおもしろさにとりつかれました。複数の学生が同じ場所で合宿しながら調査をしたのですが、それぞれの関心や注目するポイントが違うし、出会う人も違うので、まったく異なる調査報告になります。他でもない「私」がやる意味のある学問なのだ、と感動しました。
ただ、当時、1990年代後半の人類学をめぐる状況は、とても厳しい自己批判の嵐のなかにあって、勉強を進めるうちに、そんなに素朴におもしろがってもいられない、と気づきはじめます。簡単に言えば、どんなに学問的に興味深いからといって、他人の生活にどかどかと足を踏み入れて、偉そうにああだこうだと言うって、暴力的なことなんだ、と自覚するようになったんですね。
でも、いまふりかえれば、学問の営みには、そうした負の部分があることを自覚しつつ、なお自分は何をやるべきなのかを真剣に問いなおされたことは、個人的にも、学問全体としても、大きな意味があったと思います。