河村真木子×田中杏子 対談「成功の秘訣は本心で生きること」
田中杏子(以下、田中)「真木子さんは高校3年生の卒業を迎える前に、アメリカに留学したんですよね?」
河村真木子(以下、河村)「そうなんです。将来が見えないまま過ごした高校生活をやり直したいと思い、当時すでに18歳でしたが、現地の高校に留学したいという思いが募りました。だけど『高校卒業が20歳になる。周りから2年も遅れる』と、(親以外の)周りからは、めちゃくちゃ反対されました。結果的に留学しましたが、学年を落として16歳の子たちと一緒に机を並べたときは、自分でも驚きましたね(笑)。でも、その2年間のリスクを取ってでも、後の人生は絶対いいはずっていう訳のわからない自信だけはありました」
田中「なぜ、その自信があったんですか」
河村「大阪で通っていた高校は、ほとんどの人が卒業したら社会人になるか専門学校に行くくらいで。その中で私は、このままの人生より、アメリカの高校でやり直して英語もできるようになって、視野を広げた人生のほうが絶対いいだろうと思いました。それに、親の影響もすごく大きかった。もし『周りから遅れるなんて』と常識に縛られる親だったら私もできなかったかもしれませんが、そういうことでジャッジしない人たちで、子どもの頃から『あなたの人生は自分で考えなさい』と言われていたので、進めたんじゃないかなと思います」
田中「お話を聞いて、真木子さんの生き方に『私も似てるな』と感じました。私は語学をやりたかったので、周りと同じように大学に行くつもりで受験勉強をしていたんですが、高3の夏休みに『このまま志望の大学を狙ってもハードル高いし、行ったところでネイティブのようにしゃべれないし』と思ったら、海外に行ったほうが早いなと思って。それで私は、高校を卒業してからイタリアのミラノに行ったんです。でも、16歳の子たちと机を並べるっていう選択肢は想像したことがなかったですね」
河村「特に日本は、年齢が1歳違うだけで全然違う感ありますよね。その感覚でいくと、社会の中から飛び出すのは結構大変」
田中「その後、UCバークレー校を卒業されて、外資系の金融の世界に入ったんですよね」
河村「そうですね。だけど金融って長くできる仕事じゃなくて、特に外資系では40歳以上になると若い子たちの活躍が目まぐるしくて、ついていけなくなるんですよね。頭とかスピード感とか、体力も。だから、25歳で入社したときに『40歳までにはリタイアしよう』って自分の中で決めていて。それまでにお金を貯めて、資金を元に何か違う事業を起こしたいと考えていました。
当初は、リタイアしたらすぐ何か美容関連の物を売りたいと思っていたんです。 そこで自分にフォロワーがいれば明日にでも宣伝できると思ったので、金融機関で働きながらインスタグラム(以下、インスタ)でフォロワーを増やすことから始めました。そこでコラムを書き始めたら、私が発信する金融や経済の話に興味を持ってくれる人が結構いっぱいいて。
当時、インスタの世界では、経済のことを語る女性が少なかったんです。インスタってもともとは、きれいな女性やモデルさん、美容関係の方たちがいっぱいいて、その世界と金融の世界は分断されていた。それに、長文を書く人も少なかったですしね。 きれいなものを載せて"映える"のが当たり前だったところに、私の発信するもは"新物"っていう感じだったけれど、長いコラムを読んでくださる方も徐々に増えてきて。そうやって積み上げた先で、オンラインサロンを開くことができました」
田中「きれいに見せる世界の中で、本音をぶつける、人と違うことをやることで思わぬリアクションがあったんですね」
河村「でも、目立つことをよしとしないコンサバティブな金融の人たちからは非難も多かったです。今は変わりましたけど、当時は『新聞だったらいいけど、なんでふざけたインスタでコラム書くの?』みたいな。だけど、そんなふうに指摘されたり怒られたりしても、私は自分のフォロワーを持っているっていうことは財産だと信じていたから、『クビにするなら、どうぞクビにしてください』って思っていました。人と違うことをするには"失うものがあるかもしれない"というリスクを取る必要もあるんですよね」
田中「リスクと隣り合わせだし、失敗するかもしれない。でもその失敗を恐れていてもしょうがないし、やって失敗したとしても、むしろその経験が財産になるっていう考え方ですよね。腹をくくって本気で実行されているから、ここまでサロンも大きくなり、周りの方々も心を打たれて真木子さんの話を聞きたいってなるんだと思います」