避難先で出会った「書」 ウクライナ女性、大字「月下」が表す縁
書の指導者は同市矢畑で「一美(いちび)書道教室」を主催する小川對山(たいざん)さん。取材に訪れた際にバルバラさんが取り組んでいた文字は「月下」だった。90センチ×120センチの大きな画仙紙に、2本の筆を組み合わせた「合筆」を使って大書。甲骨文字での「月下」を、この日は4枚書いた。「月」の中の線がはみ出すと小川さんが「はみ出さないように」と身ぶりで指導していた。
作品の左下の小さな文字は「月下」についてのウクライナ語の説明と自身の署名だ。小川さんは「彼女は日本語ができないので、絵画に近い甲骨文字が合うと思った」と話す。バルバラさんに「月下」という字を書く感想を聞くと、「ウクライナで見る月と、日本という東洋で見る月は同じ。そのつながりがあることが重要でおもしろい」と英語で語ってくれた。
ロシアの侵攻前、バルバラさんは首都キーウの芸術団体で働きつつ、自身の作品もSNSなどで発表していた。侵攻によって単身ドイツに避難し、もともと小津安二郎監督の作品が好きだったこともあり日本への避難を模索した。ウクライナ避難民と、避難先の住居を提供する人を結びつけるウェブサイト「ウクライナ テイク シェルター」で検索すると、茅ケ崎市在住のダニエル・ドーラン早稲田大大学院教授が「マッチ」した。
「シェルター」に登録していたドーラン教授は、バルバラさんの前にも別のウクライナ避難民の女性の来日を支援していた。到着したその女性と市内の飲食店で食事していたところ、隣に座った家族連れの男性も「シェルター」に登録していたことが判明。男性の持つ空き家が一時的な住まいとして提供された。
バルバラさんとドーラン教授の連絡はこの頃で、ドーラン教授は隣国ポーランドの首都ワルシャワの日本大使館が窓口となっていることなど、渡航方法を教えた。さらに同僚からカンパを集めて渡航費用を用意し、6月12日にバルバラさんが成田空港に到着。小津監督が愛した旅館「茅ケ崎館」の地元にいるとバルバラさんが知ったのは来日後だった。
避難先に入った夜、バルバラさんの目に飛び込んできたのは未使用の書道の道具。先に入居していた女性のために小川さんが提供していたものだった。「カリグラフィー(アルファベットを筆で書く西洋版書道)を知っていたし、日本の字を書いてみたかった」というバルバラさんにとっては渡りに船。早速、半紙の包装紙に載っていた見本の字をひたすら書いたという。
この話を聞いた小川さんに誘われ、書道教室に通うようになった。「書くことを通じて改めて自分自身を見つめ直すことができる」と語るバルバラさん。偶然の連鎖で書に取り組み始めたことへの感想を聞くと、しばらく考えてから手に持った携帯電話サイズの機器にささやいた。ウクライナ語の音声を日本語の文字に変換するデバイスだ。
画面の表示は「生徒の準備が整うと 教師が現れる」。「師は弟子の準備が整った時に現れる」との格言はウクライナにもあるようだ。今後は、アート関連の職を日本で得ることを目指して活動するという。