【古典俳諧への招待】猫の子に齅(かが)れて居るや蝸牛(かたつぶり) ― 才麿(さいまろ)
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第24回の季題は「蝸牛(かたつぶり)」。
猫の子に齅(かが)れて居るや蝸牛(かたつぶり) 才麿(さいまろ)
(1697年以前作、『陸奧鵆(むつちどり)』所収)
カタツムリは、そのユーモラスな姿やのんびりした動きから、子供に人気のある生き物です。さわると目が引っ込むところが何とも言えません。平安末期の歌謡を集めた『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)には、「舞へ舞へ蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴(く)ゑ(え)させてん、踏み破(わ)らせてん」というわらべ歌が収められています。角を振り振り這(は)う様子を舞にたとえたのですが、舞わないと馬の子や牛の子に蹴らせ、踏み割らせるというのは残酷です。牛が出てくるのはカタツムリに角があるからで、「蝸牛」という漢字を当てるのも角に由来するようです。平安末期の歌人寂蓮(じゃくれん)法師も「牛の子にふまるな庭のかたつぶり角ありとても身をな頼みそ」(『寂蓮法師集』)と、角があるからといって安心せずに牛の子に気を付けなさい、と詠んでいます。
才麿の句は、牛の子に踏まれる、と歌われてきたカタツムリを、猫の子にかがせたところが新味でしょう。とはいえ、そんな技巧を無視しても面白い。カタツムリを見つけたのは、春に生まれたばかりの好奇心旺盛な子猫です。「これは何だろう?」とじっくり匂いを嗅いでいます。逃げられず殻に引きこもっているカタツムリの迷惑そうなこと。
才麿(1656~1738)は、若い頃江戸で芭蕉と共に新しい俳風を模索した俳人です。後に大阪で多くの門人をかかえる大宗匠となりました。
深沢 了子 FUKASAWA Noriko
聖心女子大学現代教養学部教授。蕪村を中心とした俳諧を研究。1965年横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。鶴見大学助教授、聖心女子大学准教授を経て現職。著書に『近世中期の上方俳壇』(和泉書院、2001年)。深沢眞二氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。