【書評】がん治療と身体性:西加奈子著『くもをさがす』
もし自分が、がんになったら?そう想像したことがある人は多いのではないか。直木賞作家・西加奈子の元に、その「もし」はやってきた。それもカナダという外国の地で。突然始まった海外での治療の日々と、揺れ動く気持ちを記した一冊。
「2人に1人はがんになる時代です」
最近よくそう言われる。
「がんはいまや、治る病気です」とも。
でも、自分ががんになったら、そんな冷静でいられるだろうか。
しかも異国で暮らしていたとしたら――。
著者の直木賞作家・西加奈子が浸潤性の乳がんの診断を受けたのは、2021年8月17日。
2年ほど前から暮らす、カナダのバンクーバーでのことだった。
その日からつけ始めた日記には、診断に対し「自分がこんなことを書かなければいけないなんて、思いもしなかった」「私は生きられるのか」と言葉が並ぶ。
本書は、そこから始まった治療の日々とその後が綴(つづ)られている。
カナダのがん治療の様子は驚きだ。
診断結果の伝達、いわゆる「告知」は、さらっと携帯電話にかかってくるし、看護師たちはあくまで明るく、採血のたびに「めっちゃええ静脈やん!」と浮き出た静脈を褒めてくれたり、検査の長い待ち時間に「Spotify聞く?」と、自分のスマホを貸してくれようとしたりする。
極め付けは、両乳房の切除手術が日帰り入院で行われること。手術を受けて数時間には、両胸から血液を排出するドレーンをつけたまま、帰宅するのだ。
いろいろなことが日本と違う。日々出会うちょっとした違和感があるから思考が深まり、広がっていくのではないか。
本書に記される、ときに哲学的な記述を読んでそう感じた。
なかでもよく出てくるのが、「身体」「からだ」「体」という言葉だ。
抗がん剤治療に通いながら、著者は海沿いのベンチに座り、日本とカナダを比べて身体について考える。
痩せていたほうがいい、脱毛をしていたほうがいい、と女性のあるべき理想を打ち出す日本に比べ、様々な体形の女性が登場するカナダの広告は主体的で、自らの身体を愛することが推奨されているように感じられる。カナダで暮らしているうちに、自分は自然と、自分の身体を取り戻してきたようだ――。
治療中には、看護師たちはしばしば「だってカナコの体だから」といい、最後の決定権は著者に委ねられる。
だから著者はこう綴る。
「本物の私たちの身体を、誰かのジャッジに委ねるべきではない」
がんだけに限らず、人は病気になったとき、いわば「異常」に出会ったときに初めて自らの身体を意識し、自分は自分の体をどうしたいのか、と主体的に考えるのだろう。病との闘いは、それまでは受け身だった身体を再構築、“re-build”していくプロセスでもある。
抗がん剤治療に苦しんでいる時に著者は「こんなに弱っている自分の体を、内側から見つめることが出来るのは、私だけなのだ」と書き、両乳房を切除したあとには「私は、自分のこの体を、心から誇りに思っていた。人生で一番自分の体を好きになった瞬間かもしれなかった」と記す。