江戸時代に「日本地図」作った伊能忠敬、播磨で滞在した宿を市民らが2年かけ調査…1冊の本に
3人は高塚さんと、井上利勝さん(80)(太子町)、徳島輝彦さん(86)(西宮市)。地域のまちづくりに取り組むリーダーらを養成する県の地域活性化事業の参加者で結成した「ふるさとひょうご創生塾ご縁グループ」のメンバーだ。
グループは、創生塾の卒業課題を手がけた仲間8人で結成。日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図」の編さんに携わった伊能が播磨を訪れ、2005年で200年を経たのを機に、足跡をたどり、文化遺産の魅力を再発見することをテーマに活動してきた。
伊能が測量時に克明に記した日記(国宝)のうち、播磨部分のコピーなどを「伊能忠敬記念館」(千葉県香取市)から取り寄せて分析し、記録に基づいて現物を確認。これまで、伊能の調査経路や、経路にある名勝などを調べた本を09、12、16年に自費で出版した。
今回の「止宿」の調査は3人で実施。高塚さんは「日記には、宿泊した播磨各地の止宿が記されている。それが測量調査にどんな役割を果たしたのか。その点に着目した」という。
過去の調査では不足だったデータを同記念館から入手。伊能の全国測量10回のうち播磨は5~8回目の4回で、止宿は計68か所(80泊)に上った。
止宿は街道筋にあり、役人らが宿泊する本陣や庄屋、寺、農家など。測量から210~220年が経過しているため、調査は難航したが、各地の市民団体や住民らも協力し、過去帳や墓石を調べてくれるなどした。