リバーシブルな格言たち|“ことば”を旅する連載・第35回
当時の日本政府は、沖縄から発せられる言葉や叫びが聞こえていながら、耳を傾けることをしなかったし、日本国民にそれを聞かせようともしなかった。沖縄はあくまでも、アメリカ合衆国と安全保障条約を履行する上での駒のひとつであり、戦中・戦後の「アメリカ世(米国統治時代)」と何ら変わりがない状況下に、沖縄は甘んじなければならなかった。日本の敗戦から77年経った今も、その構図は何ら変わっていない。
「戦争体験者が一人残らずいなくなってしまえば、世論は大人しくなるだろう」と、日本政府がひたすら沈黙を守り、ただ時が過ぎゆくのを待っているのだとしたら、確信犯以外のなにものでもない。
「空白の20年」とはどういうことかと言うと、まず、1980年代中頃から僕らのような音楽家、芸術家、映画人同士が接触し、文化交流する機会が少しずつ増えた。それぞれがそれぞれのやり方で、沖縄と日本の間に立ちはだかる見えない壁を少しずつ壊し、ある者は向こう側へ渡り、ある者はこちら側へと行き来するようになったのだ。
トンネルが開通さえしてしまえば、濃度が濃い方から薄い方へと流れ出る科学実験のように、通るべき者たち、然るべき者たちが往来し、そこには大きなエネルギーが発電される。沖縄から数多くの才能が本土に集まった1990年代に「空白の20年」が終わり、それから今日までのおよそ30年間、全国規模でその能力を惜しみなく発揮している(もちろん空白の20年の間にも具志堅用高さんや南沙織さん、フィンガーファイブなどの先人の活躍が、その道筋をまず敷いたことは大きい)。
とはいえ、沖縄人に対して良い感情を待たない人が、いまだに多いことも事実だ。沖縄戦も本土返還も自分事として体験したことのない若い世代にも、一定数そうした感情を持つ人が見られることが意外に思える。差別心というものは、誰かに刷り込まれて生まれる感情なのだから、幼少期や思春期に、年長者から負のお土産を、知らず知らずのうちに受け取ってしまっているのかもしれない。
もちろん、逆に日本人が嫌いな沖縄人だってたくさん存在するだろう。その構図は沖縄―日本の間だけに存在する感情ではもちろんない。日本国内であっても対立関係、差別意識はあちらこちらに存在する。人は相対的にしか、自分の立場を具現化できない生き物なのだろうか……。
本土復帰から今年5月15日でちょうど50年。もうワンステップ先へと進み、沖縄と日本との心の距離感を縮められる大きなチャンスだと思う。この機会を逃す手はない。