「しみじみうれしい」第168回芥川賞の井戸川射子さん会見(全文)
司会:それではただ今より、第168回芥川龍之介賞、受賞、『この世の喜びよ』で受賞された井戸川射子さんの記者会見を始めます。では、井戸川さん、ただ今のお気持ちからまずお話しいただけますでしょうか。
井戸川:はい。とても、まだ不思議な感じで、でもすごいしみじみうれしいです。
司会:はい、ありがとうございます。それでは質問のある方は挙手をお願いいたします。指名されましたら前方のマイクスタンドまでお越しになり、ご所属をおっしゃってからご質問ください。なお、なるべく多くの社の方にご質問いただくために、指名された社の次は同じ社の人は1回休みというような形でお願いできればと思います。では、挙手をどうぞ。はい、お願いします。
記者:読売新聞の【マサキ 00:13:37】と申します。このたびは受賞おめでとうございます。本日、受賞の連絡をどちらで待たれて、連絡を受けたときにご家族とか誰かにご連絡をもうされていたら教えていただければと思います。
井戸川:はい。カフェで編集者の方と待っていました。で、受賞の連絡があって、で、みんなで、うわーってなって、で、夫にまず連絡して、ああ、良かった、おめでとうございますって言われました。
記者:普段は国語の教師、高校の先生をされているということで、生徒さんたち、今、受験シーズンでもあるわけですけれども、何か、この受賞がその力になればとかなんか、以前には、姿、自分の姿を見て何か伝わればという話もありましたけれども、その辺りいかがでしょうか。
井戸川:3年生、やっぱり作家だとか最初に言っちゃうと授業しにくいので、生徒には言ってなかったんですけど、こういうふうに候補になって3年生には言って、1年生はまだ授業があるので、ちょっと気まずいので、まだ言ってないんですけど。でも3年生は、どうですかね、やっぱり努力して頑張ってれば、報われるときもあるし報われないときもあるよねっていうのは言ってるんですけど、でも、やっぱり努力が報われたらうれしいっていうことは伝えたいですね。
記者:その努力が報われるという話で、この作品が、受賞作が育児のつらさを誰かに見守っていてほしいというところから二人称という視点の設定をされたという話もありましたけれども、そのときの育児のつらさとかが、今、報われたなとかいう気持ちがあるのかというところと、あと、誰かが見守っていてくれたんじゃないかというような実感みたいなのがもしございましたら。
井戸川:やっぱり二人称にする、二人称小説は書きたいなとずっと思っていて、でも必然性がなきゃやっぱり書かないよな、二人称ってって思っていて。で、育児が結構しんどくて、ああ、子供たちを私が見守ってるように、私も誰かに見守られてたらいいのになっていうふうに思って書いたんですけど。
そうですね、やっぱり、報われたかというと、でも、その育児のしんどいときにやっぱり原動力となったのが本を読むことと本を書くこと、それがなかったら本当に、ああ、自分のことをしてないな、今日一日ってなっちゃってたと思うので、書けたことで報われたという部分がまずありますよね。
で、見守られていたかっていうと、やっぱり書くことで自分の自浄作用というかカウンセリングというか、そういうふうにもなってるので、うん、書くことで自分で自分を見守ってあげられたかなっていう感じですね。