花粉から宇宙まで「命」を探究するアート ヴォルフガング・ライプ氏 森美術館の企画展に参加
新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)という、想像もつかない危機が世界を覆った2020年春。ドイツ南部の小さな村に暮らすライプ氏は例年と同じように、ヘーゼルナッツやタンポポなど花粉の採取に精を出していた。1977年に初めて花粉の作品を発表して以来、一貫して続けている制作の一環だ。
「花粉を集める畑や草原、森は以前と全く変わらぬ姿だった。私にとってそこは一種の静養地であり、毎日少しずつ花粉を採取する、その営み自体はいつもと同じ。けれども世界で起きていることを意識しないわけはなく、緊張感のようなものを抱えていました」
報道が連日伝えるのは、大勢の人の死や苦しみ。「野山を見渡せば、そこは地上の楽園です。一方で、私たちの命はなんて、はかないんだろうと」
思えば、花粉も息を吹きかければ飛散してしまうほど、もろくてはかない。でも濃密な生のエネルギーを秘めている。
ヘーゼルナッツの花が咲くのは早春の数週間のみ。その花粉は毎年、小さなガラス瓶半分から1本程度しか集まらないというから、大変貴重なものだ。今回のインスタレーションには2015~18年の4年間で集めた花粉が使われている。
浅く削った大理石板の表面を、毎朝牛乳で満たす「ミルクストーン」、蜜蠟を体全体で感じられる作品「べつのどこかで-確かさの部屋」も展示。花粉、牛乳、蜜蠟などライプ氏が使う素材はいずれも、生命の源を連想させる。しかも手を加え過ぎることなく、ほぼそのまま提示する。見る者はおのずと五感を使い、より根源的、本質的な問いへと沈思せざるを得ない。
「説明を求めても、本来アートは説明し切れないもの、言葉で表し切れないもの。私の作品にも象徴的な要素はありますが、解明できないでしょう。でも日本の方々は深いところで感じてくださるので、アーティストとしてはこの上のない喜びです」
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大学で医学を専攻するも、生と死を合理的に扱う近代西洋医学に限界を感じ、24歳で芸術家に転じた。若い頃にインドに長期滞在し、今も同国にスタジオを置くなど、東洋の思想や宗教に大きな影響を受けたという。
「東洋だけでなく、(中世イタリアの)アッシジのフランチェスコや、(13世紀イスラム神秘主義の)詩人ルーミーにも医学生時代、傾倒していました。特に、肉体の死をすべての終わりとする医学と異なり、より重要な始まりとする思想に触れ、人間の存在意義について考えた経験は、医学ではない道を選ぶきっかけとなった」と振り返る。
「人生が本当にはかないと理解していれば、もっと違う生き方を模索するかもしれない。結果として、人生はもっと美しくなると思います」
2005年にスイスのバイエラー財団で開いた個展の名は「刹那の永遠」だった。人生のはかなさを知っていても、「人類は歴史の中で、常に永遠の命について追究してきたといえます」。人生は刹那、この世のすべては無常だが、命は輪廻(りんね)転生するように、脈々と続いてゆくのではないか-。ライプ作品はそんな、人知を超えた世界、宇宙的な広がりを感じさせてくれる。
コロナ禍を経て、私たちは「ウェルビーイング=良く生きる」ことに意識を向けつつある。自らの心身や生活だけでなく、「自然や地球環境がいかにはかなく、壊れやすいか。私たちは謙遜さとつつましさの大切さに気付いたのではないでしょうか」。
予測不能のことが起きたとき、新しい思索へと導くアートの力を再認識した人も多いだろう。
「私は医学でできなかったことを、アートでできるようになったと思っています」
(黒沢綾子)
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<Wolfgang Laib>1950年、ドイツ・メッツィンゲン生まれ。ドイツ南部、南インドおよびアメリカ・ニューヨーク在住。ポンピドゥー・センター(仏)、東京国立近代美術館、ソフィア王妃芸術センター(スペイン)、ニューヨーク近代美術館(米)など世界各地の主要美術館で個展を開く。2015年、高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)を受賞。
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「地球がまわる音を聴く」展は11月6日まで。「生きること」に関わる本質的テーマを表現する、国内外16人の作品を紹介している。