美しい日本と旅するヴェンダース 世界文化賞受賞者が第2の故郷で語る芸術家の輪(前編)
ヴェンダース監督の代表作のひとつに『ベルリン・天使の詩』がある。ベルリンの壁が崩壊する2年前に製作され、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した作品である。彼は映画のエンドクレジットに「すべてのかつての天使たち、特にヤスジロウ、フランソワ、アンドレイに捧ぐ」と献辞を書いている。フランソワとはヌーヴェル・ヴァーグの旗手、フランスのトリュフォー監督、アンドレイとは旧ソ連のタルコフスキー監督のことである。
そして、ヤスジロウとは日本の小津安二郎(1903年-1963年)のことである。
世界中の映画人に愛される小津との出会いを聞いてみた。
ヴィム・ヴェンダース(以下、WW):
私はパリのシネマテーク[筆者註:映画博物館]での修行時代に黒澤明の作品など多くの日本映画を見てきましたが、当時は小津の映画は一本もありませんでした。なぜかヨーロッパではまったく上映されていなかったのです。というのも、小津映画を製作した日本の映画会社は、小津の作品は「極めて日本的な内容で海外の人には理解できないだろう」と考えていたからです。これはいわば、日本人の自国文化に対する偏見です。
初めて小津の映画を見たのは、私がすでに映画を作っていた1974年か75年のことです。アメリカの配給会社が「君がどれだけ映画が好きかは知っている。今、日本映画を4本配給しているのだが、きっと気に入るだろう。うちの映画館にタダで入れてあげるよ」と言ってくれたのです。
WW:
私はニューヨークで小津映画が公開された直後に見ました。そして、小津をもっと見たいと強く思いました。私の人生で見た中で最も美しいものであり、映画芸術の失われた楽園のようなものだったのです。
『東京物語』は4回続けて見ました。これ以上のものはないと思って見ていました。その感覚は今でも変わっていません。実は、いろいろな字幕版を持っているのですが、どれを見ても、初めて見たときと同じような形で感動を覚えるのです。美しさ、人への尊敬の念、精神性。見るたびに「Oh that’s it.」と感動するのです。
質問:
『東京物語』のほかに見た3本は何でしたか。
WW:
『生れてはみたけれど』(1932年)『秋刀魚の味』(1962年)『彼岸花』(1958年)ですかね。あまりにも何回も見ているので、『彼岸花』はもしかしたら違うかもしれない。
小津映画は私の中では、ひとつにつながった長い映画のような気がするのです。
私が小津を知らなかったこと、ヨーロッパの友人たちが誰もこの小津安二郎のことを知らなかったことが私を駆り立て、一刻も早く日本に行きたいと思うようになりました。
そして、ドイツの国際文化交流機関「ゲーテ・インスティトゥート」から、ドイツ映画の小さな回顧展を開催するから東京に行かないかという誘いがあり、すぐに飛びつきました。
おかげで映画学校などで十数本の小津映画を見ることができました。