田村哲夫×隠岐さや香 AI時代のいまこそ、リベラルアーツ教育を
(『中央公論』2023年7月号より抜粋)
隠岐》お久しぶりです。『伝説の校長講話』、楽しく拝読しました。
田村》ありがとうございます。あの本は、2022年まで校長を務めてきた渋幕と渋渋で、「中高生のリベラル・アーツ」を掲げて生徒向けに行ってきた講話がもとになっています。私自身はリベラル・アーツ、すなわち文系・理系を問わず幅広く学問の基本を身につけることを目指す教養教育を追求してきました。そして、隠岐さんは、私が初代校長を務めた多摩大学附属聖(ひじり)ヶ丘(おか)中学高等学校(東京都多摩市)の卒業生というご縁で今回の対談が実現したわけですね。
隠岐》1991年高校入学、94年卒業です。聖ヶ丘で多くを学びました。
(中略)
田村》私の校長講話──いまは学園長講話と称しております──は、中学1年から高校3年まで、学年ごとに年間5回ずつ、6年間で計30回の講話を行うというかたちを基本にしていて、シラバス(授業計画)もきちんと組んでいます。隠岐さんの頃は、私もまだ模索を続けていた時期だったと思います。隠岐さんは内容を覚えていますか?
隠岐》『伝説の校長講話』を読んでいると、当時聖ヶ丘高校でも部分的には共通したお話をされていたようで、要素の一つひとつに関しては、脳裏に蘇るものがあるんです。ただ、恥ずかしながら、当時はその繋がりが見えておらず……。いまになって私も、大学で学生に「リベラル・アーツとは」と語ることがありますから、「ああ、そうか。田村先生はこういう意図で話しておられたんだな」と、やっと見えてきた、というところでしょうか。
田村》当時の資料を調べ直してみたら、隠岐さんたちに、C・P・スノー『二つの文化と科学革命』について話していたことがわかりました。この本は、イギリスの物理学者で小説家だったスノーが1959年に行った、自然科学と人文科学の関係を語った名講演をまとめたもので、まさに隠岐さんのいまのご専門に密接に関わるものですよね。
隠岐》そうでしたか。科学史を研究する過程でスノーの名前を知ったときに、初めてではないような気はしたんです……。高校時代、本当にいろいろな教えを受けていたのに、その頃は受け止める器ができておらず、申し訳ありませんでした。
田村》いえいえ、それは当たり前のことですよ。なんとなく聞いて、いずれどこかで思い出してくれれば、という気持ちで話しています。
(中略)