小林武彦 利己的な生と公共的な死――社会が決める人間の寿命
(『中央公論』2022年6月号より抜粋)
人の死を生物学的にみると、生き物の設計図である遺伝情報(ゲノムDNA)が壊れ始めるとともに老化が始まり、死に至ることになる。細胞は生まれてから何度も分裂を繰り返しているうちに、DNAの傷が蓄積し、いわば壊れた状態で増え続けるがん化が始まってくる。これを防ぐために「そろそろまずいよ」というシグナル=肩叩きがある。これが老化で、老化した細胞はやがて増殖を停止して、死に至るのだ。人の体細胞は約50回分裂すると、それ以上の分裂をやめ、やがて死んでいくことがわかっている。
赤ちゃんや若い人の細胞も老化して死んでいく。例えば、皮膚の垢は老化して死んだ細胞が脱落したものである。しかし、すぐに新しい細胞が補われるために、個体としては若いままでいられる。
ところが、年を取ってくると新しい細胞ができにくくなることもあり、しわしわな肌になってしまう。
細胞のがん化を防ぐために、人は免疫機構や老化の仕組みによって細胞を入れ替えていく。しかし、やがて遺伝情報の傷の蓄積量が限界を超え、異常な細胞が急激に発生するようになる。その年齢はおおよそ55歳で、それ以降、高齢になって出てくる疾患は、遺伝情報が少しずつ劣化して起こる場合が多い。がんはもちろん、アルツハイマーもおそらく同じような原因と思われる。
別の言い方をすれば、進化によって獲得した55歳という想定を超えて、人間は長生きするようになったのである。
DNAが壊れなければ老化しない。ではなぜ壊れ始めるのだろうか。私は「最初から壊れるようにできているからだ」と考えている。
38億年以上前、最初に生命の種として登場したRNAは、生物ではないにもかかわらず、自分で自分を複製できる特徴を持っていた。氷の結晶が大きくなっていくように自己増殖できたのだ。また、自己編集能力があり、自分で自分の結びつきを切ったり、他のRNA分子と繋がったり、部分的に結びついて複雑な構造をとることもできた。
そのRNAのプールの中で増殖しやすいものが多数派になり、他は壊れて、新たに作り出されるRNA分子の材料になった。つまり、より効率よく増えるRNA分子が生まれてくるためには、常に壊れて材料になるものが必要だったのである。これが死の起源だと私は考えている。そして進化のプログラムのスタートとなる。
こうした変化と選択を繰り返しながら、やがて生命が誕生する。多様な生物が生まれ、その多くが絶滅する中で、たまたま生き残ったものが多数派になっていく。生物は環境が激しく変化する中でも存在し続けられる「もの」として誕生し、変化と選択を繰り返しながら生き残ってきた。いわば、死ぬものだけが進化できて現存できているのだ。